松原智美アコーディオンレクチャー2月23日新大阪ココプラザで開催、新作募集も!

2017年223日(木)19:00〜
ココプラザ(大阪市立青少年センター)美術工房101
JR京都線「新大阪駅」下車、東口(南側)より徒歩約5分
地下鉄御堂筋線「新大阪駅」下車、中改札より徒歩約10分

 

関西における現代音楽のより活発な発展を願い、開催されてきた日本現代音楽協会関西企画の演奏会第5弾では、演奏家にアコーディオン奏者 松原智美を迎え、クラシカルアコーディオンの新たなレパートリー開拓に向けて展開する。

まずはリサイタルのプレ企画として、レクチャーでアコーディオンの基礎から現代奏法まで、松原がこれまで取り組んできた様々な作品の中からいくつかを取り上げ、実演を交えて解説を行う。

これを踏まえ、約1年後に予定されているリサイタルでは、松原のために書かれた日本現代音楽協会(現音)会員のアコーディオン作品複数曲を演奏するほか、アコーディオン・ソロのための小品(3〜4分程度)を広く一般公募し、3作品を選び演奏する予定である。

今後、松原のレパートリーとして長く国内外で演奏していくであろう、多くの刺激的な作品が生み出されることを願っての企画である。

(企画・監修:北條美香代)

 

入場無料(資料代800円当日徴収)
※要予約 定員40名にて締め切り

下記お問い合わせ先にメール、もしくはお電話・ファックスにてお申し込みください。
E-mail: mkyhojo(a)me.com ※(a)を@に変えて送信してください。
Tel&Fax: 0742-27-9213奈良教育大学 北條美香代研究室

 

講師:松原智美
大阪府生まれ。8歳よりアコーディオンに親しむ。 高校卒業後、クラシックアコーディオンを学ぶため渡仏。パリ市立音楽院を経て、ドイツ国立フォルクヴァンク芸術大学・アコーディオン科芸術家コースを修了。マックス・ボネ、御喜美江各氏に師事。在独中、カールスト音楽学校のアコーディオン講師を務める。 2010年第5回JAA国際アコーディオンコンクール(東京)第3位入賞。2010年第9回現代音楽演奏コンクール「競楽Ⅸ」入選。帰国後、関西を中心に定期的にコンサートを開き、ソロ・室内楽曲の委嘱・初演、アコーディオンのための 新たなレパートリーの開拓など精力的な演奏活動を展開する傍ら、大阪・奈良でアコーディオン教室を主宰。 公開セミナーの企画、奈良教育大学でアコーディオン特別講座を行う等楽器の認知・普及にも尽力している。 これまでに、読売日本交響楽団定期演奏会、御喜美江アコーディオンワークス2010、日本音楽コンクール作 曲部門本選会、茨木新作音楽展、金沢ナイトミュージアム2014等、ゲストやエキストラとしての出演多数。 読売日本交響楽団、東京シンフォニエッタ、アール・レスピラン、藝大フィルハーモニア、東京室内管弦楽 団、京都フィルハーモニー室内合奏団等と共演。 オフィシャルホームページ http://matsubara-tomomi.com

卑弥呼とホームズのヴァイオリン事件簿〜第8回「卑弥呼とフェミニズムの関係」

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こんにちは! ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。2017年という年号にもようやく慣れてきました。今月の「事件簿」は、わたしがかねてから気になっている、音楽におけるジェンダー論について綴りたいと思います。

近年、フェミニズムと呼ばれる女性の社会進出を推奨する動きが盛んです。わたしはこの考え自体には賛成ですが、これだけインターネットで書きものをしているにも関わらず特段大きな声を上げないのは、自分は社会全体の女性の問題を背負えるほど、この件について深く考えていないからです。

 

 

深く考えていない、と書くと投げやりですね。わたしは「女性が生きやすくあるために」とは考えておらず、ただ「はらだまほが精神衛生よろしく収まれる環境を作る」という捉え方で、ときにフェミニズムの運動や思考を支持します。これは真剣に活動されている方から見たらかなり無責任ですよね。社会における自分の居心地の良い場所を探すという個人的な目的でしか考えていないために、自分がファミニストを名乗ることは、社会的・経済的・学術的にしっかりとジェンダーのことを考えている方に対して失礼だと思うのです。

 

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某新党風にうさギも演説してみました。きっとこれはうさギズムですね

 

ただ、性別を超えて自分を捉えるという考え方をできることすら、自分の世代だから、そして比較的リベラル志向の家庭に育ったからかな、と思うことはあります。たとえば自分が政略結婚の 1 ピースとして、親の事業の取引先に嫁がなければならないことが幼少期から決まっていたとしたら。たとえば小学校の段階からあまり学校に行けず、離れた町の井戸へ毎日水を汲みに行き、10 代のうちに母親になっていたとしたら。わたしは女という初期設定をまざまざと感じずにはいられなかったでしょう。

今でも覚えているのは、中学時代の社会科の授業のひとこま。「これまでの日本の総理大臣には、全員にひとつの共通点があるんです」という先生の問いかけに、何人か挑戦しますがなかなか正解が出ません。やがて「答えはですね…全員男性なんです」と先生が言うと、教室には「あぁ」「たしかに…」という声がこだましました。

「皆さんの世代から日本初の女性総理が誕生するかもしれませんね」と希望を持たせた先生は、今思えば良い先生だなぁと思います。またそれを受け、クラスの男子に「はらだ総理大臣になるんじゃね?」(注:当時学級委員長だった)と言われたのはさすがに超恐縮でしたが、そう思ってもらえたことは嬉しかったし、そのときの「女性をリーダーに立てることに抵抗感がない」教室の雰囲気は次世代として頼もしいものだったと思います。あぁ、わたしがおっかない委員長だったからという仮説は否定しないでおきますね。

さて、本当に性別による差を感じていないならば、むしろその格差について“考える”という発想もなかったでしょうね。格差の是正を求める人は常に、差別を目の当たりにしてきた人です。

わたしはまだ格差を実感したことはありませんが、“差”については考えることがしばしばあります。

一音楽学生としてわたしにも理想の音楽と理想の演奏スタイルがあるものの、近年どうもそれは男性ヴァイオリニストのそれに近いのではないかと気づき始めました。つまり、自分をそこに近づけていくのは難しいのではないかという疑問も同時に発生したのです。

主観的かつ感覚的なデータですが、たとえは演奏スタイルで言えば、ヴァイオリニストの場合女の子のほうが反り越し気味な気がします。手の大きさや指の太さから楽器の持ち方がまったく違って見えるのも興味深いことです。

 

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わたしが思うヴァイオリン演奏の男女差の図。少々大げさに描きましたが、女性は腰を、男性は肩を内に入れている気がします※うさギは本来男の子です

 

男女では体格差があるのだから、演奏スタイルの違いは仕方のないことではあれど、いやむしろ体に合わせた姿勢を取るべきながら、ときに自分の姿を鏡で見たときに、あまりに理想と離れていてがっかりすることがあります。それだから、学部時代の友人に「まほさんは弾き方が男っぽいよね」と言われたときは「しめた!」と思ったものです。わたしは女子にしては背があるものの、身長に対する手のサイズは小さめ。見た目から手が大きい人用の運指を勧められることが多く、それもまたわたしを悩ませる要素のひとつとなります。

思い返せばこのモンモンとした疑問の芽は中学時代には育ち始めていました。今よりもツンツンしていた頃です、毎日提出必須だった日記帳に「ベートーヴェンを女々しく弾く人は嫌いです」という意見をぶつけたことがあります。理科の先生にこの議題を問う自分もなんだかなと思いますが、担任の先生は「女性にしかできないことにキーがあるんでしょうね。」と返してくれました。しかしわたしはこの言葉の答え、自分の「女性らしさ」にある強みは未だ見つけられずにいます。

音楽とジェンダー問題といえば、近年一部で女子音大生が「会いに行けるアイドル化」されていることにも疑問を感じます。たとえばそのキャラクターで売り出すほど、本人も納得かつ自覚して活動を行うことは良いと思います。演奏者本人がそれを願っているわけではないのに、まるで劇場型アイドルを追うようにコンサート会場に現れる人に、わたしは首をかしげてしまうのです。

会えば「イケメン系女子(面ではなくメンタルのことです)」と言われるわたしすら、Facebook上での肩書きは「音大に通う23歳女子」。たったそれだけで、知らない人からの友達申請をたくさん受けます。これはとても不思議な、そして2010年代ならではの現象です。わたしの場合Facebookは実際の知り合いのみのお付き合いで使っているので、そういった申請をいただくたび、心の中で「おそらくわたしには皆さまの求める『かわいげ』がないのでご期待には添えません、ごめんなさい」と思いながらお断りしています。

たまに、アイドル=偶像化された「音大生女子」を見る目を向けられた日には、言葉にし難い居心地の悪さにいたたまれなくなります。ただ、これものちに振り返れば「あの頃は若かった」と思うのかもしれません。若さの特権は今しか使えないのだから、と言われればそれも一理あると思いますし、心は揺れます。

補足しておくと、自分がいわゆるLGBTであるとは思いません。イケメン俳優に目をキラキラさせたりしているので(好きなドラマは『相棒』です)友人には「見かけによらず乙女な一面があるよね」と認識されています。自分に与えられた性別の初期設定が辛いというほどのこともありませんし、たぶんノーマルの類です。しかしながら、こうしたわけでときに「自分が男性だったらなぁ」または「女性だからこういう場面に遭遇するのかなぁ」と考えることがあるために、セクシャルマイノリティ問題は他人事には思えないのです。

音大には「小さい頃男の子になりたいと思っていた」という友人が、少なからずいました。性別の境なんて、もしかしたら誰もがその淵をのぞいたことがあるかもしれません。それは「癖(へき)」や「フェチ」として括られるものもあり、実にグレーゾーン。これを言ったら何事もそうだと言えますが、そもそもが同じ人間などおらず、人の性(さが)は固有のものです。性的少数者を括るからこそ、ノーマルの枠の中にも生きづらい人が出てきます。ノーマルとLGBTなんて区分すら、いつかなくなればいいのになぁと思います。

 

 

maho_harada文・絵:原田真帆
栃木県出身。3歳からヴァイオリンを始める。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、同大学音楽学部器楽科卒業、同声会賞を受賞。第12回大阪国際音楽コンクール弦楽器部門Age-H第1位。第10回現代音楽演奏コンクール“競楽X”審査委員特別奨励賞。現代音楽にも意欲的に取り組み、様々な新曲初演を務める。オーケストラ・トリプティークのメンバー。これまでに萩原かおり、佐々木美子、山﨑貴子、小川有紀子、澤和樹、ジェラール・プーレ、小林美恵の各氏に師事。

 

 

「いま聴く 生まれたての音符たち アンデパンダン展」2月1日2日の2夜に亘って全20曲上演

あのクラシックの名曲も

誕生時は最先端の音楽。

2017年春、「現音」発の

最先端音楽と出会う二夜。

 

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プリント

〈現代の音楽展2017〉
いま聴く 生まれたての音符たち アンデパンダン展 第1夜

2017年21日[水]18:00開場/18:30開演|東京オペラシティリサイタルホール

 

橋本 信|Shin HASHIMOTO
ノスタルジアII(作曲2016年初演
藤本三四朗(アルトサックス)新野将之(ヴィブラフォン)

梶 俊男Toshio KAJI
panopticon(作曲2016年初演
橋本晋哉(チューバ)

野崎勇喜夫|Yukio NOZAKI
Intimité 〜2本のギターのための〜(作曲2016年初演
山田岳・土橋庸人(ギター)

内本喜夫|Yoshio UCHIMOTO
チェロ協奏曲(2017年版-1)(作曲2016年初演
翠川敬基(チェロ)

北條直彦|Naohiko HOUJO
記憶の風景より〜弦楽三重奏のための〜(作曲2016年初演
佐藤まどか(ヴァイオリン)岡さおり(ヴィオラ)松本ゆり子(チェロ)

休憩

くりもとようこ|Yoko KURIMOTO
ウェーベルンの旋律によるパラフレーズ—青春の思い出に—(作曲2016年)
栗本洋子(ピアノ)

露木正登|Masato TSUYUKI
デュオ・コンチェルタンテII〜バセットホルンとピアノのための(作曲2016年初演
鈴木生子(バセットホルン)及川夕美(ピアノ)

北條美香代|Mikayo HOJO
深輝〜トランペットとピアノのための〜(作曲2015年)
神代修(トランペット)中桐綾奈(ピアノ)

ロクリアン正岡|Locrian MASAOKA
組曲「死生共存」-ソプラノ、テノール、ピアノによる(作曲2016年初演
第一曲 「死無流(しむる)」
第二曲 「死対生」
第三曲 「永遠の少女と老人の諦念」
第四曲 「偉人・イチロー対ドーピング・露西亜」
薬師寺典子(ソプラノ)金沢青児(テノール)大須賀かおり(ピアノ)

※就学前のお子様のご同伴・ご入場はご遠慮下さい。演奏順、曲名は変更となる場合が有ります。

 

制作:日本現代音楽協会事業部

 

チケット:全自由席4,000円

東京オペラシティチケットセンター インターネット予約 電話:03-5353-9999
日本現代音楽協会 電話:03-3446-3506 gendai2017(a)jscm.net www.jscm.net

主催:日本現代音楽協会(国際現代音楽協会日本支部)
助成:一般社団法人日本音楽著作権協会
後援:一般社団法人日本作曲家協議会

 

 

プリント〈現代の音楽展2017〉
いま聴く 生まれたての音符たち アンデパンダン展 第2夜

2017年22日[木]18:00開場/18:30開演|東京オペラシティリサイタルホール

 

平良伊津美|Itsumi TAIRA
Affectus II(作曲2016年初演
大野和子(フルート)平良伊津美(ピアノ)

浅野藤也|Fujiya ASANO
独白〜クラリネット独奏のための(作曲2016年初演
田中香織(クラリネット)

近藤浩平|Kohei KONDO
水を運ぶ少年 作品163(作曲2016年初演
大升良美(フルート)坂場圭介(ギター)

堀 悦子|Etsuko HORI
玉梓(たまづさ)—ピッコロ独奏のための(作曲2015年)
野口 龍(ピッコロ)

高見富志子|Toshiko TAKAMI
挽歌〜オーボエとファゴットのための(作曲2016年初演
大植圭太郎(オーボエ)中川日出鷹(ファゴット)

休憩

木下牧子|Makiko KINOSHITA
“SPARKS” マリンバ・ソロのための(作曲2015年)
西久保友広(マリンバ)

倉内直子|Naoko KURAUCHI
変異の相互作用-アルトフルートとバスクラリネットのための(作曲2016年初演
間部令子(アルトフルート)菊地秀夫(バスクラリネット)

田中範康|Noriyasu TANAKA
ギターのための「ノクチュルヌ」(作曲2016年初演
佐藤紀雄(ギター)

高原宏文|Hirofumi TAKAHARA
コミュニオンIX(作曲2016年初演
菊地秀夫(クラリネット)松本卓以(チェロ)

増本伎共子|Kikuko MASUMOTO
弾き歌いによる箏曲「西脇順三郎からの“四つの詩”」(作曲2015年)
深海さとみ(十三絃箏)

岡坂慶紀|Keiki OKASAKA
プリズムー3人のクラリネット奏者のために(作曲2016年初演
板倉康明・西澤春代・川越あさみ(クラリネット)

※就学前のお子様のご同伴・ご入場はご遠慮下さい。演奏順、曲名は変更となる場合が有ります。

 

制作:日本現代音楽協会事業部

 

チケット:全自由席4,000円

東京オペラシティチケットセンター インターネット予約 電話:03-5353-9999
日本現代音楽協会 電話:03-3446-3506 gendai2017(a)jscm.net www.jscm.net

主催:日本現代音楽協会(国際現代音楽協会日本支部)
助成:一般社団法人日本音楽著作権協会
後援:一般社団法人日本作曲家協議会

アンデパンダン出品者からのメッセージ

アンデパンダン出品者からのメッセージ 

アンデパンダン出品者からのメッセージを50音順で紹介します。

 

◎ まずは内本喜夫さんからのメッセージです。

チェロ協奏曲(2017年版-1)     (第1夜)

「TSAR BOMBA」ツァーリ・ボンバは 内本喜夫唯一の代表作品。私は作曲家になる遥か以前の極めて幼少期からこの作品を創造していた。この作品は全人類究極の最終知的進化形。学術、美術、音楽、他、人類の知的活動の全分野史上最強の作品。私はこの「TSAR BOMBA」ツァーリ・ボンバと共に生まれ育ち、人生を生きてきた私の命であり、「TSAR BOMBA」ツァーリ・ボンバ以外には興味は無い。他の作品についてはどうでも良い。私が全身全霊をかけて取り組んでいるのは、「TSAR BOMBA」ツァーリ・ボンバだけである。他の作品についてなどは全く興味が無い。「TSAR BOMBA」ツァーリ・ボンバ一作品だけで他には何もいらない。「TSAR BOMBA」ツァーリ・ボンバ一作品のみが私の人生を生きていく唯一の希望である。

 

Major Works

TSAR BOMBA

3F ( Fission-Fusion-Fission ) hydrogen bomb

( Staged radiation implosion bomb )

Nuclear weapon yield 150 megatons

 

内本喜夫著

TSAR BOMBA ツァーリ・ボンバ改訂第六版

ISBN978-4-86645-002-5 C3042

JASRAC日本音楽著作権協会(出)許諾第1608931-601号

より抜粋

 

◎ 次は岡坂慶紀さんからのメッセージです

プリズム3人のクラリネット奏者のために    (第2夜)
実は4~5年前、同じ編成で曲を書きました。
クラリネットはグリッサンドが可能なので、それを一つの効果として・・・と云うのが狙い目でしたが、一応書き終えて奏者に相談したところ、いろいろ制約が多く、その上、大した効果がないことが解りました。
結局破棄せざるを得ませんでした。
弦楽器は自由にグリッサンド可能ですし、その効果も充分ですが、クラリネットはそうは行かない・・・と、身を持って感じました。

◎ 次は倉内直子さんからのメッセージです

「変異の相互作用」-アルトフルートとバスクラリネットのための      (第2夜)

曲は、変容する7つの部分より成ります。

各低音楽器は拍節感を持ち、そのアクセントのズレや、カノン、旋律の和音的垂直装飾、ユニゾン等の手法や形態を取っています。

現代社会の『時に疾走し、時に静まり拡大する時間感覚』の表現を試みました。

何よりも、(アルト)フルートの間部令子さんと、(バス)クラリネットの菊地秀夫さんの御二人に依るDUOという視覚的、映像イメージが大きく存在しました。

御二人それぞれの高い演奏技術と、曲の為に最善の御提案、御提言を頂ける御人柄に寄せる絶対的な信頼感、安心感が、作曲時の心の拠り所、基盤となりました。

御二人に心より感謝致します。

 

◎ 次はくりもとようこさんからのメッセージです

ウェーベルンの旋律によるパラフレーズ —青春の思い出に—        (第1夜)

学生の頃から自作自演をしてきた。自分の曲でもできるだけ客観的に弾きたいと思い、名前の表記を、作曲の場合平仮名で、演奏の場合は漢字で書いてきた。

決して、自作自演が最高の方法でないと自覚しながらも、演奏という楽しさは捨てがたく、ピアノだけでなく、歌(声)やパフォーマンスもやってきた。2014年にCDを作る機会をいただいた時には『くりもとようこ自作自演集』としてしまった。今回も、主催者に禁止されていないことを良いことに、素晴らしい演奏の方々に混じって出演させていただくことをお許しいただきたい。

曲は7分程のピアノ曲で、2016年に作曲、9月に名古屋で初演した。初演時のプログラムには次のようにある。

「20世紀無調音楽の巨星ウェーベルン(1883〜1945)の非常に初期の作品に『弦楽四重奏曲のための緩徐楽章』がある。まだ調性があり、作品番号も付いていない。ヴァイオリンの最低音ト音から始まるハ短調のメロディは、三オクターブ近くグイグイ上行し、変ホ長調に収まる。その甘美で情熱的な音楽は、泣きたい時に聴くにはもってこいだった。若かった頃の話。

あの頃と私は何が変わったのか? 好きだった野坂昭如もデヴィッド・ボウイも死んでしまった。守ろうとしたものは何だったのか?

曲は『緩徐楽章』の旋律による46音が二音ずつ提示され、その間に短い楽句が挿入される。(決して、後のウェーベルンを模したものではない。) パラフレーズというよりは、23のバラバラのフレーズのパッチワークの様なものである。」

ピアノの、右のペダルを踏んだ総ての弦に共鳴する豊潤な響きではなく、単音の響きに耳を澄まそう。その音をソステヌート・ペダルで拾って、その上に大好きな高音をキラキラとばらまこう。年をとり、確実に若さは無くなったが、成熟には程遠く、再び『若気の至り』に憧れる。

 

◎ 次は高原宏文さんからのメッセージです。

コミュニオン Ⅸ クラリネットとチェロのための   (第2夜)

コミュニオンシリーズは、いずれも二人の奏者による二重奏曲の形態を採っており、今回の作品は其れの九作目となる。

この作品では、我が国の伝統芸能である「文楽」の中で、義太夫の語り手と、太棹の三味線の二人の演者によって演じられる緊迫した遣り取りに触発され、其れの遣り取りをクラリネットとチェロの二人の奏者に託して曲を構成することを試みた。

 

高原宏文 1934年鳥取県生まれ

国立音楽大学作曲科卒業。同専攻科修了。

現在、日本現代音楽協会会員、国立音楽大学名誉教授。

 

COMMUNIONⅠ〜Ⅸ

Ⅰ(Cb. Perc.)   Ⅱ(2Mba.)   Ⅲ(2Fl.)   Ⅳ(Sop. Sho)   Ⅴ(Vn. Vc.)   Ⅵ(Hichi. Sho)   Ⅶ(Vn. Pf.)   Ⅷ(2Vn.)   Ⅸ(Cl. Vc.)

 

◎ 次は露木正登さんからのメッセージです。

デュオ・コンチェルタンテⅡ〜バセットホルンとピアノのための       (第1夜)

バセットホルンのための作品シリーズ(連作)開始宣言

 友人に、今度のアンデパンダン展のチラシを見せたときの反応

「バセットホルンってどんなホルンなの?」

ちっ、違う!バセットホルンは金管のホルンではない!クラリネット属の楽器である!F管のテナー音域のクラリネットなのだ!

バセットホルンという楽器を知らない人は意外と多い。しかし、モーツァルトは一般的に大変人気のある作曲家であり、「レクイエムニ短調K.626」を聴いたことのない人は、クラシック音楽ファン(とくにモーツァルト・ファン)ならばまずいない、と断言してもいいだろう。「グラン・パルティータK.361」を聴いたことがない人もまずいないはずである。モーツァルトのこれらの名曲をよく知っている人達でも、バセットホルンという楽器がすぐに思い浮かばないほど、この楽器の存在感が薄いのが現状である。もちろん、吹奏楽やクラリネット・アンサンブルをやっている人達はその限りではないが。

モーツァルト以降、この楽器が使われる作品はあるか考えてみると、メンデルスゾーンのOp.113とOp.114が思いつく程度で、他にはこれといった作品が見当たらない。音色的にはロマン派の作曲家にピッタリだが、残念ながらシューマンもブラームスも作品を書いていない。かなり長い間、バセットホルンという楽器はほとんど忘れ去られていたようである。

しかし、20世紀になると再びこの楽器が使われ始める。たとえば、B.A.ツィンマーマンの管弦楽作品「フォトプトシス」(1968)、クルタークの「人生行路Op.32」(1992)、リゲティのハンブルク協奏曲(2001/2002)などである。シュトックハウゼンの連作歌劇「光」(1977/2003)では、バセットホルンに重要な役割が与えられている。ヨーロッパではチェンバロをはじめ、ナチュラルホルンやバセットホルンなど古い時代の楽器のために新たなレパートリーを創造することが行われているが、さて日本ではどうであろうか?特殊奏法や作曲技法の輸入にはとても熱心だが、音楽史上、忘れられた楽器のために新たな音楽を創造することには消極的であると言っていい。

さて私は2012年から、レパートリーが少ない楽器のために曲を書くシリーズ(連作)を開始した。これまでにホルンやバロック・ヴァイオリンといった楽器のために曲を書いてきたが、今回はバセットホルンである。鈴木生子さんという素晴らしい演奏家と出会わなかったら、たぶん思いつかなかったシリーズではある

 

◎ 次は北條直彦さんからのメッセージです。

String Trio   「記憶の風景より」〜弦楽三重奏のための〜      (第1夜)

この曲は遥か彼方の様々な記憶の断片からの音による呼び醒ましであり、それらへの照射を意図したものである。幾つもの散逸した断片を一本の糸で繋ぎ、その先にある隠れた意味性を探ろうとした。いわば、これは作者の心象風景とその背景の音による現前化の試みと言い換え得よう。記憶の引き出し手として、冒頭のヴァイオリンの動機C、Es, Desとそれに続く重音を伴ったE,G,Gis,H…が狂言回しとして重要な役割を持つよう設定されている。そして、そこから一つの物語が始まる。

具体的な曲構成は大きく分けて六つの部分よりなる。以下にその見取り図を示しておく。

  • 提示

a1 ヴァイオリンの動機(狂言回し的な)

a2 奏者全員によるピチカート音群

b1 狭い音程によるグリッサンドを中心とした部分

c1 ヴァイオリンの半音下降音型とチェロの上行音型の組み合わせによ

c2 aとcとの組み合わせ

  • ある種の展開

a3 aが展開、発展し新たな線形も登場

a4 a2に新たな旋律線が組み合わされ加わる。

b2 グリッサンド音型に新たなリズム音型が加わる

  • 概出の要素による即興的な部分
  • 再現

aの変化を伴った再現

bの変化を伴った再現

  • チェロに始まるポリフォニックな部分(チェロのテーマは概出の線形を音列化して導きだした)
  • 展開された再現部、及び終結部

a5 冒頭のヴァイオリン動機を基としたカデンツア

a6 a2の再現と発展

b3 b1の再現と発展

d a2のピチカート音群中のチェロパーとより引き出されたオステイナート上に概出の要素が現れる

e 結尾 曲の最後のグリッサンドは「記憶の風景」がはかない夢として消える事を表し、日常性への回帰の信号ともなる

 

◎ 次は増本伎共子さんからのメッセージです。

引き歌いによる箏曲「西脇順三郎から“四つの詩”」       (第2夜)

本来、「箏曲」は、歌を歌いながら箏を弾く「組唄」を期限としており、「六段」のような「独奏曲」は「段もの」といわれ、少数派とされていた。しかし私は、その古来の箏歌が何となく肌に合わず、ずっと避けて通っていた。ところが一昨年、深海さんから「歌入りの箏の曲を」という委嘱があり、少々たじろいだが、彼女のCDをうかがい、その見事な歌唱の技術に圧倒され、禁を破って「現代風 歌入りの箏曲」を書いた次第である。さいわい初演では箏曲関係者からも凡ね好評であったので、今後もこうした「歌入り箏曲作品」が、現代の作曲家諸氏(姉)によって次々と書かれることを期待している。

 

桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科卒業

箏のための作品としては「序奏・うた・終曲」(マザーアース刊) 「越天楽今様による合奏曲」「とりお」「こより—二十五絃箏とギターによる二重奏曲—」などがある。

 

 

◎ 次はロクリアン正岡さんからのメッセージです。

「死生共存」—ソプラノ、テノール、ピアノによる        (第1夜)

宇宙脳が作曲した今度の出し物「死生共存」について 

現実の音楽や音楽史に視界を限られれば、数多くの豪華な楽曲や天才的な作曲家や演奏家、そしてその他を含めた全体的音楽文化・文明の豊穣さに圧倒される思いだ。だが一方、音楽の潜在能力を考えると未現出の楽曲やそれに始まる演奏や楽器や音響手段の多様性は私のような者に想像できる範囲でも既出のそれをはるかに超え、実際は更にその外に大きく広がっているに違いない。地球上の自然からして動植物の多様性は驚くべきものがあるが、各自然物にとっての宇宙の無尽蔵の潜在力からみれば無限小の筈だ。むしろそれほど高い潜在力があってこそいろいろな個性達の現出と相成り得たのだ。「もういいとこ出尽くしちゃっている」「我々は既存の要素を新規に組み合わせることぐらいしか」といった現代作曲家の発言は謙虚なようでいて実は傲慢なのだ。

一般的に人間は「現れ」信仰者だ。彼らは眼にも見え手で触れうる石ころほど確実な存在はない、とする。スポーツ選手が勝ちに、女性が若さに等々、一般に結果に拘るのも同根で、“現象=存在”の思いからだろう。だから鏡の手前の自分自身よりも鏡や他者の目に映った自分の方を大事にする。でなければ「カッコイイ」とか「輝く」という言葉は冷やかしにしかならない筈だ。原因とか努力とか幸運とかに拘るのも結果(=現象=存在)と関係づけてのことだ。だから、努力は偽りに変えられもする。女性の美容整形やロシアの国ぐるみのドーピング…。こと芸術、わけても音楽に至ってはもともと鏡の中の存在のようなところがあって、すべてがすべて絵空事=デッチアゲとされもする。

ところが現代は超が付くほどの情報時代だ。情報の箱である鏡はいやがうえにも大事にされるが、どっこい鏡の外の目や頭や心等、要するに意識が無ければ鏡は有り得ず、脳が無ければ意識は有り得ない。

そこでだが、普通、その脳は個々人の所有物、あるいは個人自身とすら思われている。現代においては、個人を超えた情報集積回路のようなものが社会に役立つ優秀な人材として求められつつあるようだ。が、それらはいずれもエゴイスティックで、後者も社会のエゴイズムの産物だ。

話を冒頭からのつながりに戻すが、私LMは我が脳を自分自身から解放し、持てる宇宙的思惟力-それは宇宙の根拠から来ている-を存分に発揮させたい。人々がまだ目にしたこともない未来からの恐竜「ゲルニカ」の登場。芸術的行為は、とりわけ作曲行為はそれを強力に促してくれる。それは悪行か?いや!この現代文明を破壊しようとする「シン・ゴジラ」があれだけもてるところを見ると…以下、LMホームページの詳述へどうぞ。

Web版 NEW COMPOSER Vol.6

webcomposer

Vol.6  2017.1.10

 お待たせいたしました。Web版『NEW COMPOSER』第6号をお送りいたします。
第6号では〈現代の音楽展2017〉話題を中心にお伝えします。

まずはアンデパンダン出品者からメッセージが届きました。下の「出品者からのメッセージ」をクリックしてください。
リアルタイムに更新できるのがWeb版『NEW COMPOSER』の良いところですので、それぞれの演奏会が近づくにつれ、更に記事が更新、増殖していくかも知れません。時々チェックして頂ければ幸いです。
どうぞご覧下さい。

NEW COMPOSER編集室長 山内雅弘

—– C O N T E N T S —-