アンデパンダン出品者によるレポート (五十音順)
くりもと ようこ
2月1日に開かれた『アンデパンダン展第1夜』でピアノ曲『ウェーベルンの旋律によるパラフレーズ —青春の思い出に— 』を自作自演した。
曲目解説に書いた様に、作曲のきっかけは、自分の音楽人生を振り返るというものであったが、音楽的には、ウェーベルンの旋律による2音の提示と挿入句という2つの時間軸の同時進行と、『23のバラバラのフレーズ』の羅列によって全体を構成することが出来るか?ということを課題とした。1つのフレーズは約17秒前後。これは、ピアノの音がペダルを踏まないで減衰するおよその時間。又は、1つの間(ま)の時間。
現音のお客様は良い! 聴いてやろうという姿勢で聴いて下さる。お客様にのせていただいて、最初の1音から最後まで緊張感を保つことが出来た、と思う。「あなたの言いたいことは伝わったと思うわよ。」と友人に言ってもらい、嬉しかった。
又、私のお客様の一人の方からは、「これまでも何回かのコンサートには来たが、今回の公演は全部素晴らしかった。こんな高水準の作品が誕生するためなら、維持会友になってサポートしていこうかと考えている。」という趣旨の有難いお言葉もいただいた。
私も、他の方々の作品に触れる良い機会だったので、聴かせていただくのを楽しみにしていたのだが、自分と演奏するということで、出番の前までは楽屋におり、演奏家の方々の本音トークを聞きながらモニターをチラチラ見、面白そうなことをやってるなぁ、と想像を掻き立て、自分の演奏が終わってからは、遠方から来てくれた何十年ぶりかで会う友人と話し込んでしまい、結局1曲も聴くことができず、大変残念な思いをした。
これからも、何かの機会に皆さまに聴いていただくことを願っている。『アンデパンダン展』という門戸が開かれているという心地よさに感謝しつつ。
平良 伊津美
自作品ですが、「美しい」「綺麗」という感想を頂き、とても嬉しかったです。
今回の”AffectusⅡ”では、美しさを表現することを狙って作曲したので、狙い通りの感想を頂けたのは、ありがたき幸せです。フルートがとてもよい、と演奏家にもお褒めの言葉を頂きました。私のピアノも、自分でいうのも恥ずかしいですが、よかったと言われました。また、コンサートでは、「見せる」こともこだわり、衣装を、白黒ではなく、カラフルな色にしたのも、成功でした。
会全体のことですが、開始の時間を、6時半から7時に遅くすることはできなかったのでしょうか。自分達の順番が、1番目の6時半とあって、平日の夜、普通のサラリーマンには、これない時間帯で、行きたくてもこれなかった人が沢山いました。
時間帯を見直すことはできないのでしょうか。
会場ですが、残響が長く、響きすぎで、ソロの演奏の人は、よかったかもしれませんが、アンサンブルの演奏は、やりにくかったのではないか、と思います。
何はともあれ、無事に大きなコンサートを終えることができて、安堵しています。
私は来年は、参加しないと思いますが、再来年は、”Affectus Ⅲ”をアルトフルートとピアノのために書きたいと思っています。
どうもありがとうございました。
高原 宏文
第2夜は拙作を含む11曲の編成、傾向も多様で、通常の演奏会の形態から言えばやや統一感を欠いた感もありました。唯、次にはどう言う作品が出てくるか、聴いて見ないとわからない、と言う期待感もあって、それがアンデパンダン展の面白さでもあると思います。11曲を聴き終わっての感想は、これが現在の日本における現代音楽創作活動の一つの側面を表した会であり、個々の作品の可否とは別に、各作曲者にとって、それぞれ多くの問題点を含んだ会だったと思います。尚、特筆したいのは、当日の演奏者も含め、現代音楽の演奏に携わって下さる演奏者の方々への敬意と感謝の気持ちです。
増本 伎共子
だいぶ以前の事。現音「秋の音楽展」(当時は「アンデパンダン」のことを、そう称んでいた)のゲネプロのために、石橋メモリアル・ホールに入っていくと、ゲネプロの「番人」の佐藤敏直氏が、「死にそう」と、つらそうなお顔で・・・。
たしかに当時の「秋」の出品作のなかには低調なものも散見され、今と同じ優秀な演奏陣がさらい込んで力演しているのにも拘わらず、申し訳ないような作品もあり(自分を棚に上げて、いい気なもん?)、それを反映してか、本番の客席もガラガラで・・・名実ともに「お寒い」状態(殊に石橋メモリアル・ホールみたいな広め(?)な所では・・・)。
それにひき換え、昨今のアンデパンダンは・・・。昨夜も満席で。しかもお客様も満更お義理だけで来たのではなさそうな、熱心な傾聴ぶりで、作品も、不相変名人揃いの演奏陣に伍してヒケをとらぬ作品達が揃い、客席とステージとが一体となって、実にいい感じ。
「漸くゲン・オンもここまで来たか、世の中変わったなァ・・・」
昨日、たまたま80歳の誕生日を迎えた老女の嬉しい呟き・・・でした。
ロクリアン 正岡
組曲「死生共存」はネット動画に投稿済みですが、もし今回の初演が成功しているとすれば-
そのわけは合同練習をこのロクリアン・スタジオで10月の中旬に声楽家、そして11月と1月に全員でそれぞれ2.5~3時間の計6回行ったこと。
ほとんど毎回、休憩時に作曲中の、あるいは出来立てほやほやの自作をP音源ながら披露するなどして、回を追うごとに演奏者が寄り楽しげにより熱心になってくれたこと、この二つが大きかったと思う。
その曲たちとは、今回の「死生共存」を先祖にたとえその未来進化形だとか、はたまた、曲の裏側にある“母性の発露”としての「ロクリアンハウスCMソング」(Cf.ユーチューブ)とかであったが、LSという作曲空間の創造的熱気が彼女たちを包み込んだといえようか。
そのオペラ並みの演技は私が要請したところではあるが、金沢君が先行、薬師寺さんも負けじと積極的にやってくれた。
また、衣装については光としての白、闇としての黒、生命としての緑という象徴的意味合いを持たせたものだが、3人とも意識の高さで応じてくれた。
以下は、いただいたメールやアンケートの文章そのままです。
1)もちろん!!期待して来たのだが、それ以上に強烈であった。大オペラを見に来た気分「しむる」と言いたくなった。
2)日本語をここまで音楽化できるのかに感心。「死無」を聴くと死も怖くないような気になります。最後は楽しく終わったのでホットしました。
3)最初から最後までよかったです。軽やかなリズムや透き通るような声に聴き入ってしまいました。「ドーピング」のところもすごい演技力と歌唱力で最高によかった。「死む」と何度も何度も繰り返し歌うところや「死みゆく」「いつまでもきれい」「おとろえ」も迫力があり最高によかったです。
4)面と向かって感想を申し上げるのが照れ臭かったので、早々に失礼してすみませんでした。
今日は初めから聴かせて頂きましたが、ロクリアンさんの作品がやはりベストでしたよ。
ハーモニーの移り変わりによる色の変化や、言葉の子音の使い方、冒頭のソプラノで「む」の音を印象付ける譜割り、「しむ」が「むし」に聞こえてくる言葉遊び、その後「る」が入る事によって「る」というより「ル、ル、ル」のような明るい表情になる設計、3曲目の淡々とした女声と独白のような男声、第4曲目の最初の和音の柔らかさなど、音楽としてとても楽しめました。
それに演者の皆さんのパフォーマンスも素晴らしかったですね。
衣装もピッタリでした。
まぁ4曲目の内容はどうかなぁと思ったけれど、ロクリアンさんの並びにいらした男性は爆笑でしたね。
お疲れ様でした!素晴らしい作品でした。
5)長い間、音楽会から感動が失われて久しい。しかし、昨日の兄の曲は違った。あれほどの音のエネルギーの自立的な推移と必然性が、人の心を否応無く感動へと運んでしまう曲は、極めて稀だ。兄の曲が良いという言い方は、照れくさくてできなかったので、「名演だった」と兄に告げてひとり帰ったが、目が覚めて、あらためて感心するとともに、兄の置かれた、いや、兄ばかりか私達日本の作曲家たちの置かれた状況を、考えざるをえない。まず、日本語という言語の非音楽性。日本語は響きが下にあるために、西洋流のベルカントには絶対になじまず、能、演歌など、響きを下に落として地声を旋律にする。5つの母音のうち、鳴り易いのはA,O,U,E,Iの順で、A,O以外は殆ど響かない。この点で、「死無」は最悪であった。しかし2人の演奏家は、よくそれに耐えて、オペラのクライマックスのような圧倒的な音楽的頂点を導いた。それから、歌詞は、ほとんど聞こえないのも、毎度のことだ。これも兄のせいではなく、文化全体の問題だ。私と妻にとって、日本語の聞こえるうたが、長年の課題であった。この点につては、私たちはほぼ解決したと思う。兄の今度の曲で一番の問題は、曲の構造的崇高さに比べて、歌詞の今日的な軽さと、卑近さのアンバランスだと思う。しかしこれは、兄の気持ちが分かるだけに、今日の日本の音楽的状況の悪さを、呪うだけだ。とにかく、めげずに作曲するのみと,我が身に言い聞かせながら、兄に御目出度うを言おう。2日朝。
末筆ながら、当日本現代音楽協会へ心から感謝の意を表させていただきます。