卑弥呼とホームズのヴァイオリン事件簿〜第9回「卑弥呼のヴァイオリン奏法ラボ」

 

こんにちは! ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。ロンドンは聞くところによると7年に一度くらいくると言われている暖かい年だったようで、日本で買い込んだヒートテックは今季の役目を終えました。

さて、10月から始まった「現代音楽ワークショップ」という授業で、まもなくプロジェクトの発表を迎えようとしています。今はプレゼンテーションとレポートの準備中です。

そのプレゼンの中でわたしは曲中に使われるヴァイオリンの奏法について紹介するのですが、発表原稿を書きながら「これはよく作曲科の友達に訊かれたなぁ」と思うことがいくつかありました。一方で、奏者は「あたりまえ」と思っているがゆえに、ニュートラルに説明できているかな? と鑑みることが何度もありました。

そこで今回は、よく質問を受ける奏法について、奏者の視点も交えながら独断と偏見で書いてみたいと思います。

 

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アンデパンダン・レポート

アンデパンダン出品者によるレポート (五十音順) 

 

                              くりもと ようこ

2月1日に開かれた『アンデパンダン展第1夜』でピアノ曲『ウェーベルンの旋律によるパラフレーズ —青春の思い出に— 』を自作自演した。

曲目解説に書いた様に、作曲のきっかけは、自分の音楽人生を振り返るというものであったが、音楽的には、ウェーベルンの旋律による2音の提示と挿入句という2つの時間軸の同時進行と、『23のバラバラのフレーズ』の羅列によって全体を構成することが出来るか?ということを課題とした。1つのフレーズは約17秒前後。これは、ピアノの音がペダルを踏まないで減衰するおよその時間。又は、1つの間(ま)の時間。

現音のお客様は良い! 聴いてやろうという姿勢で聴いて下さる。お客様にのせていただいて、最初の1音から最後まで緊張感を保つことが出来た、と思う。「あなたの言いたいことは伝わったと思うわよ。」と友人に言ってもらい、嬉しかった。

又、私のお客様の一人の方からは、「これまでも何回かのコンサートには来たが、今回の公演は全部素晴らしかった。こんな高水準の作品が誕生するためなら、維持会友になってサポートしていこうかと考えている。」という趣旨の有難いお言葉もいただいた。

私も、他の方々の作品に触れる良い機会だったので、聴かせていただくのを楽しみにしていたのだが、自分と演奏するということで、出番の前までは楽屋におり、演奏家の方々の本音トークを聞きながらモニターをチラチラ見、面白そうなことをやってるなぁ、と想像を掻き立て、自分の演奏が終わってからは、遠方から来てくれた何十年ぶりかで会う友人と話し込んでしまい、結局1曲も聴くことができず、大変残念な思いをした。

これからも、何かの機会に皆さまに聴いていただくことを願っている。『アンデパンダン展』という門戸が開かれているという心地よさに感謝しつつ。

 

 

                                平良 伊津美

自作品ですが、「美しい」「綺麗」という感想を頂き、とても嬉しかったです。

今回の”AffectusⅡ”では、美しさを表現することを狙って作曲したので、狙い通りの感想を頂けたのは、ありがたき幸せです。フルートがとてもよい、と演奏家にもお褒めの言葉を頂きました。私のピアノも、自分でいうのも恥ずかしいですが、よかったと言われました。また、コンサートでは、「見せる」こともこだわり、衣装を、白黒ではなく、カラフルな色にしたのも、成功でした。

会全体のことですが、開始の時間を、6時半から7時に遅くすることはできなかったのでしょうか。自分達の順番が、1番目の6時半とあって、平日の夜、普通のサラリーマンには、これない時間帯で、行きたくてもこれなかった人が沢山いました。

時間帯を見直すことはできないのでしょうか。

会場ですが、残響が長く、響きすぎで、ソロの演奏の人は、よかったかもしれませんが、アンサンブルの演奏は、やりにくかったのではないか、と思います。

 

何はともあれ、無事に大きなコンサートを終えることができて、安堵しています。

 

私は来年は、参加しないと思いますが、再来年は、”Affectus Ⅲ”をアルトフルートとピアノのために書きたいと思っています。

 

どうもありがとうございました。

 

 

                                 高原 宏文

第2夜は拙作を含む11曲の編成、傾向も多様で、通常の演奏会の形態から言えばやや統一感を欠いた感もありました。唯、次にはどう言う作品が出てくるか、聴いて見ないとわからない、と言う期待感もあって、それがアンデパンダン展の面白さでもあると思います。11曲を聴き終わっての感想は、これが現在の日本における現代音楽創作活動の一つの側面を表した会であり、個々の作品の可否とは別に、各作曲者にとって、それぞれ多くの問題点を含んだ会だったと思います。尚、特筆したいのは、当日の演奏者も含め、現代音楽の演奏に携わって下さる演奏者の方々への敬意と感謝の気持ちです。

 

 

                                                                                                                     増本 伎共子

だいぶ以前の事。現音「秋の音楽展」(当時は「アンデパンダン」のことを、そう称んでいた)のゲネプロのために、石橋メモリアル・ホールに入っていくと、ゲネプロの「番人」の佐藤敏直氏が、「死にそう」と、つらそうなお顔で・・・。

たしかに当時の「秋」の出品作のなかには低調なものも散見され、今と同じ優秀な演奏陣がさらい込んで力演しているのにも拘わらず、申し訳ないような作品もあり(自分を棚に上げて、いい気なもん?)、それを反映してか、本番の客席もガラガラで・・・名実ともに「お寒い」状態(殊に石橋メモリアル・ホールみたいな広め(?)な所では・・・)。

 

それにひき換え、昨今のアンデパンダンは・・・。昨夜も満席で。しかもお客様も満更お義理だけで来たのではなさそうな、熱心な傾聴ぶりで、作品も、不相変名人揃いの演奏陣に伍してヒケをとらぬ作品達が揃い、客席とステージとが一体となって、実にいい感じ。

「漸くゲン・オンもここまで来たか、世の中変わったなァ・・・」

昨日、たまたま80歳の誕生日を迎えた老女の嬉しい呟き・・・でした。

 

 

 

                                                                                                              ロクリアン 正岡

組曲「死生共存」はネット動画に投稿済みですが、もし今回の初演が成功しているとすれば-

そのわけは合同練習をこのロクリアン・スタジオで10月の中旬に声楽家、そして11月と1月に全員でそれぞれ2.5~3時間の計6回行ったこと。

ほとんど毎回、休憩時に作曲中の、あるいは出来立てほやほやの自作をP音源ながら披露するなどして、回を追うごとに演奏者が寄り楽しげにより熱心になってくれたこと、この二つが大きかったと思う。

その曲たちとは、今回の「死生共存」を先祖にたとえその未来進化形だとか、はたまた、曲の裏側にある“母性の発露”としての「ロクリアンハウスCMソング」(Cf.ユーチューブ)とかであったが、LSという作曲空間の創造的熱気が彼女たちを包み込んだといえようか。

そのオペラ並みの演技は私が要請したところではあるが、金沢君が先行、薬師寺さんも負けじと積極的にやってくれた。

また、衣装については光としての白、闇としての黒、生命としての緑という象徴的意味合いを持たせたものだが、3人とも意識の高さで応じてくれた。

 

以下は、いただいたメールやアンケートの文章そのままです。

 

1)もちろん!!期待して来たのだが、それ以上に強烈であった。大オペラを見に来た気分「しむる」と言いたくなった。

 

2)日本語をここまで音楽化できるのかに感心。「死無」を聴くと死も怖くないような気になります。最後は楽しく終わったのでホットしました。

 

3)最初から最後までよかったです。軽やかなリズムや透き通るような声に聴き入ってしまいました。「ドーピング」のところもすごい演技力と歌唱力で最高によかった。「死む」と何度も何度も繰り返し歌うところや「死みゆく」「いつまでもきれい」「おとろえ」も迫力があり最高によかったです。

 

4)面と向かって感想を申し上げるのが照れ臭かったので、早々に失礼してすみませんでした。

今日は初めから聴かせて頂きましたが、ロクリアンさんの作品がやはりベストでしたよ。

ハーモニーの移り変わりによる色の変化や、言葉の子音の使い方、冒頭のソプラノで「む」の音を印象付ける譜割り、「しむ」が「むし」に聞こえてくる言葉遊び、その後「る」が入る事によって「る」というより「ル、ル、ル」のような明るい表情になる設計、3曲目の淡々とした女声と独白のような男声、第4曲目の最初の和音の柔らかさなど、音楽としてとても楽しめました。

それに演者の皆さんのパフォーマンスも素晴らしかったですね。

衣装もピッタリでした。

まぁ4曲目の内容はどうかなぁと思ったけれど、ロクリアンさんの並びにいらした男性は爆笑でしたね。

お疲れ様でした!素晴らしい作品でした。

 

5)長い間、音楽会から感動が失われて久しい。しかし、昨日の兄の曲は違った。あれほどの音のエネルギーの自立的な推移と必然性が、人の心を否応無く感動へと運んでしまう曲は、極めて稀だ。兄の曲が良いという言い方は、照れくさくてできなかったので、「名演だった」と兄に告げてひとり帰ったが、目が覚めて、あらためて感心するとともに、兄の置かれた、いや、兄ばかりか私達日本の作曲家たちの置かれた状況を、考えざるをえない。まず、日本語という言語の非音楽性。日本語は響きが下にあるために、西洋流のベルカントには絶対になじまず、能、演歌など、響きを下に落として地声を旋律にする。5つの母音のうち、鳴り易いのはA,O,U,E,Iの順で、A,O以外は殆ど響かない。この点で、「死無」は最悪であった。しかし2人の演奏家は、よくそれに耐えて、オペラのクライマックスのような圧倒的な音楽的頂点を導いた。それから、歌詞は、ほとんど聞こえないのも、毎度のことだ。これも兄のせいではなく、文化全体の問題だ。私と妻にとって、日本語の聞こえるうたが、長年の課題であった。この点につては、私たちはほぼ解決したと思う。兄の今度の曲で一番の問題は、曲の構造的崇高さに比べて、歌詞の今日的な軽さと、卑近さのアンバランスだと思う。しかしこれは、兄の気持ちが分かるだけに、今日の日本の音楽的状況の悪さを、呪うだけだ。とにかく、めげずに作曲するのみと,我が身に言い聞かせながら、兄に御目出度うを言おう。2日朝。

 

末筆ながら、当日本現代音楽協会へ心から感謝の意を表させていただきます。

 

 

第33回現音作曲新人賞 — 山本裕之審査委員長の講評

 第33回現音作曲新人賞の講評

                            審査委員長 山本裕之

 

第33回現音作曲新人賞は、「邦絃楽器」という変わったテーマ設定がなされたため、個人的には応募が少なくなるのではないかと危惧しました。実際は18作品の応募があり、これは確かにこれまでの実績からすると少ない方ではあるものの、ほとんどの作品が今回の公募のために書かれたであろうと考えると、現代邦楽への感心が決して薄れていないことの表れであるとも思えます。そしてこのようなテーマ設定ができる現音作曲新人賞の存在意義は大きいと実感しました。

 

2016年11月25日(金)の譜面審査で4曲に絞りましたが、この時点で4曲が各々異なる方向性を持っていたこと、どれも高いレベルにあったことなどから、3月3日(金)の本選会ではかなり難しい審査が予感され、はたしてその通りとなりました。3人の審査員の判断はバラバラで、限られた時間内での選考は困難を極めました。しかしながら、審査員の中で共通する認識も多分にあり、最終的に総合的な判断で新人賞に伊藤作品を、富樫賞に増田作品を選出しました。なお富樫賞の授与は今回をもって最後となります。

 

以下、入選4作品についての講評です。

 

伊藤彰氏《好奇心ドリブン》(ギター、ヴィオラ、二十絃箏)は、3つの楽器がすべて絃楽器という共通性を持たせた上で、限られた素材、奏法およびピッチを用いることにより、音色の差異を効果的に聞かせた作品で、その繊細な感覚と作品のもつ力は特筆すべきものでした。音楽的な発想や使われた素材は必ずしも新しい方向性を覗かせてくれるものではありませんでしたが、何よりも完成度の高さがそれをカバーしています。

 

増田建太氏《樹に窓を見る》(十三絃箏、クラリネット)は、リズムの難しさと微分音の多用から、譜面審査では演奏の困難さが指摘されましたが、本選ではすばらしい演奏が披露されました。多用されている微分音からは「狂気」のようなエモーショナルな表現も期待されましたが、残念ながらそれはあまり目立ちませんでした。しかしながら、限定された素材で「聴かせる」音楽を作り出す力量は誰もが認めるところであり、作曲家としてのオリジナリティが感じられると評されました。

 

前半の2曲はどちらかというと理知的なアプローチが成功した作品でしたが、対して後半の2曲は作曲者の「感性」が魅力となった作品だったといえるでしょう。池田萠氏《硝子妄想(と、その解決)》(中棹三味線、歌唱を含む)は、4作品の中で唯一、伝統の「内側からの破壊」に挑戦した作品でしたが、それが成功しているかどうかについては審査員の間で評価が分かれました。他方、地唄のような従来の歌ものは基本的に「物語」を唄う形を取りますが、「ガラス妄想」という異文化(ヨーロッパ)の「状況イメージ」を日本の伝統音楽のフォーマットに載せたという点は、この作曲家のオリジナルな感性が発露した結果だと見て取れます。

 

最後の作品、原島拓也氏《極彩ドロップ No.2》(中棹三味線、十七絃箏、フルート)は、特殊奏法を駆使した音色観による独自の世界の構築が目指されていました。様々な工夫がなされていましたが、聴き手の耳が途中から慣れてしまうあたりは、音色の使い方が現代音楽のクリシェから抜けきれていなかったためかも知れません。しかし、奏法や和声の変化を効果的に配し、構成的に優れた作品でした。

 

以上、ポジティブとネガティブの両面から、各審査員の意見をまとめました。4作品のすべてに「惜しい」ところがあるとはいえ、最終的にユニークかつ高レベルの作品が集まったことは衆目の一致するところかと思います。審査の過程では「邦楽器に対してどうアプローチするか」が重要なポイントとして常に意識されました。たとえば2〜30年前の日本の作曲界において、邦楽の伝統とどのように対峙するか、伝統の重みをどう受け止めるかは多くの作曲家にとって常に大きな問題となっていましたが、近年の若い世代はやはり伝統を意識しながらも「肩肘を張らない」邦楽器への接し方をしている、というのは最近の傾向として見られ、今回あらためてそれが確認できたと思います。おそらく武満徹や三木稔のような先達が歴史の文脈で語られつつあるのに伴い、彼らが充分そこから距離を持てる世代となっていることが一つの理由であるのかもしれません。

 

最後に、今回の候補4作品の演奏がどれもすばらしかったとの声が多く聞かれました。近年、現音作曲新人賞でもベテランや中堅に混じって若い演奏家に参加して戴くことが多いのですが、作曲家の多様化する語法に応えられ、なおかつ音楽的にも技術的にも優れた演奏を実現できる奏者が、洋楽のみならず邦楽でも明らかに増えてきました。現代邦楽の層が確実に厚くなってきたことを確認できたのも、本本選会の収穫だったと感じた方は多かったのではないでしょうか。優れた奏者と若い世代の作曲家による相互作用が近い将来、日本の音楽文化のユニークなフェーズを創り上げていく、そんな予感さえさせる今回の新人賞選考会でした。

Web版 NEW COMPOSER Vol.7

webcomposer

Vol.7  2017.3.28

 お待たせいたしました。Web版『NEW COMPOSER』第7号をお送りいたします。
第7号では〈現代の音楽展2017〉のレポートをお送りします。

2月1日、2日に開催されたアンデパンダン展の出品者によるレポート、3月3日に開催された第33回現音作曲新人賞の山本裕之審査委員長の講評、並びに作曲新人賞を受賞された池田彰さん、富樫賞を受賞された増田健太さんからメッセージです。
どうぞご覧下さい。

NEW COMPOSER編集室長 山内雅弘

—– C O N T E N T S —-

第33回現音作曲新人賞受賞の言葉〜伊藤 彰

第33回現音作曲新人賞受賞:伊藤 彰

この度は「第33回現音作曲新人賞」、併せて「聴衆賞」を受賞できましたこと、またこのような舞台で拙作が演奏されましたことを大変嬉しく思います。3日間のリハーサル、そして様々な作品を聴くことができた演奏会は、大変有意義な時間となりました。
素晴らしい演奏をして下さった指揮の松尾祐孝先生、二十絃箏の田村法子さん、ヴィオラの甲斐史子さん、ギターの山田岳さん。審査員長の山本裕之先生、審査員の新垣隆先生、福井とも子先生。そして練習場所を提供して下さった吉村七重先生。今回、素晴らしい演奏家、作曲家の皆さんとご一緒させて頂いたこと、多くの聴衆の皆さんと音楽を共有できたことは何事にも代え難い貴重な経験となりました。この場をお借りして、改めて深く感謝申し上げます。
受賞作となった《好奇心ドリブン》(2016)は、構想から含めると作曲に非常に長い時間を費やしており、独奏ギター、二十絃箏、ハープ、弦楽三重奏のために書いた拙作《In transparent labyrinth(透明な迷宮の中で)》(2014-15)に基づいていますが、今作では各楽器により明確な役割を持たせることで再構成しました。この作品は、書き上げるまで多くの作曲家の先生方、多くの友人にアイデアの成熟を手伝って頂きました。今回の現音作曲新人賞の募集テーマは「撥弦邦楽器」ということで、私は「3つの異なる弦楽器」による「音色」の違いを聴かせることを創作のテーマとして作曲しました。結果的に邦楽器が持つ伝統とは、少し距離を置いたアプローチの仕方となったように思います。
自分の音楽語法を獲得することの難しさを日々痛感するばかりですが、創作を通じて出会う新たな音楽の発見、そして何よりも人との出会いや交流が私にとって作曲することの喜びです。この貴重な経験を糧に、今後もより一層の精進を重ねたいと思います。

 

▼第33回現音作曲新人賞審査結果はこちら