卑弥呼とホームズのヴァイオリン事件簿〜第11回「指揮棒とわたし」

こんにちは! ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。急に暑くなったり思いがけず冷えたり、体調が心配になる季節ですね。

前回のコラムでは「指揮を学ぶこと」と題して、わたしがこれまでに受けてきた指揮の授業など、指揮者ではない人が指揮を学ぶことについてつづりました。

今回はそのつづきで、わたしがもう少し指揮の勉強に踏み込んでみたお話をしたいと思います。

 

将来の夢はなんですか

いざそこに立ってみると、オーケストラの奏者として見上げるよりもずっと高い場所のように感じて足がすくみました。なんとか棒を持った腕を上げてみるものの、空中に浮かべた自分の手がとても不恰好に見え、なによりその手は震えています。

わたしは学校の授業を飛び出て、個人で指揮の講習会に参加してみることにしました。これは大学2年生の冬のことです。

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卑弥呼とホームズのヴァイオリン事件簿〜第10回「指揮を学ぶこと」

こんにちは! ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。

今週末からはゴールデンウィークということで、あともうひとふんばりという方、またはほっとしている方もいらっしゃるでしょう。

わたしはというと、子供の頃は学校大好き人間だったのでGWをうっとおしく感じていたのですが(せっかくできたリズムも崩れるし、家にいるとヴァイオリンをたくさん練習しないといけないし)、大学生になってからはGWのありがたみを感じるようになりました。休める!と思えばこそ新年度の忙しさも乗り切れるというものです。

しかし残念ながらイギリスにはGWがありませんので、手帳の赤い日を塗りつぶしながら使っています。29日は師匠が音楽監督を務める音楽祭に出向いて、師匠が演奏する『四季』のバックを務める予定です。会場はなんとオックスフォード! 美しい街と聞き、いつかは行ってみたいと思っていたので非常に楽しみです。

閑話休題、本日は「四季」ならぬ「指揮」をテーマに綴りたいと思います。

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アコーディオンソロ作品募集!「松原智美アコーディオンリサイタル」2018年3月開催!

松原智美(アコーディオン)

2018年3月20日(火)日本現代音楽協会が関西シリーズ第5弾として開催する「松原智美アコーディオンリサイタル」において、アコーディオンソロの小品を一般公募いたします。日本現代音楽協会主催「現代音楽演奏コンクール競楽“Ⅸ”」に入選し、国内外で活躍する松原智美。松原のレパートリーとして、今後継続的に国内外の演奏会で取り上げられるであろう、多くの刺激的な作品が多数生み出されることを願っての企画です。(企画・監修:北條美香代)

 

●募集作品:未発表の新作(小品)3作品。
3〜4分程度(4分半以内)のアコーディオンソロ、他楽器やエレクトロニクスを伴わないもの。

●応募資格:年齢、国籍は問わない。日本現代音楽協会会員の応募も可能。

●応募方法:電子データ(PDFファイル)メール添付送付での応募 もしくは郵送

(1) 電子データ(PDFファイル)メール添付での応募
楽譜(PDFファイル)をメール添付で送付。メールの件名を「アコーディオン作品公募」とする。作品データには、タイトルのみ記入し、作曲者氏名は記入しないこと。メール本文に、作品タイトルと氏名、作曲年、連絡先(住所、電話、Fax番号、メールアドレス)、演奏時間、作品解説を記入して送付する。
▶︎送付先:80th@jscm.net

(2) 郵送での応募
作品にはタイトルのみ記入し、作曲者氏名は記入しないこと。別紙に作品タイトルと氏名、作曲年、連絡先(住所、電話、Fax番号、メールアドレス)、演奏時間、作品解説を記入して同封する(書式自由)。楽譜はコピー2部を提出する。
▶︎送付先:〒141-0022 東京都品川区東五反田2-5-7 山市ビル501

●締切:2017年8月31日(木)必着

●応募料:無料、ただし作品が選ばれた場合、出品料及び演奏料として20,000円が必要となります。

●審査員:松原智美(演奏者) 福井とも子(作曲家) 若林千春(作曲家) 北條美香代(制作担当者)

●演奏:2018年3月20日(火)豊中市立文化芸術センター小ホール

●お問い合わせ先:日本現代音楽協会 電話:03-3446-3506 FAX:03-3446-3507 E-mail:80th@jscm.net

 

松原智美
大阪府生まれ。8歳よりアコーディオンに親しむ。 高校卒業後、クラシックアコーディオンを学ぶため渡仏。パリ市立音楽院を経て、ドイツ国立フォルクヴァンク芸術大学・アコーディオン科芸術家コースを修了。マックス・ボネ、御喜美江各氏に師事。在独中、カールスト音楽学校のアコーディオン講師を務める。 2010年第5回JAA国際アコーディオンコンクール(東京)第3位入賞。2010年第9回現代音楽演奏コンクール「競楽Ⅸ」入選。帰国後、関西を中心に定期的にコンサートを開き、ソロ・室内楽曲の委嘱・初演、アコーディオンのための 新たなレパートリーの開拓など精力的な演奏活動を展開する傍ら、大阪・奈良でアコーディオン教室を主宰。 公開セミナーの企画、奈良教育大学でアコーディオン特別講座を行う等楽器の認知・普及にも尽力している。 これまでに、読売日本交響楽団定期演奏会、御喜美江アコーディオンワークス2010、日本音楽コンクール作 曲部門本選会、茨木新作音楽展、金沢ナイトミュージアム2014等、ゲストやエキストラとしての出演多数。 読売日本交響楽団、東京シンフォニエッタ、アール・レスピラン、藝大フィルハーモニア、東京室内管弦楽 団、京都フィルハーモニー室内合奏団等と共演。オフィシャルホームページ http://matsubara-tomomi.com

卑弥呼とホームズのヴァイオリン事件簿〜第9回「卑弥呼のヴァイオリン奏法ラボ」

 

こんにちは! ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。ロンドンは聞くところによると7年に一度くらいくると言われている暖かい年だったようで、日本で買い込んだヒートテックは今季の役目を終えました。

さて、10月から始まった「現代音楽ワークショップ」という授業で、まもなくプロジェクトの発表を迎えようとしています。今はプレゼンテーションとレポートの準備中です。

そのプレゼンの中でわたしは曲中に使われるヴァイオリンの奏法について紹介するのですが、発表原稿を書きながら「これはよく作曲科の友達に訊かれたなぁ」と思うことがいくつかありました。一方で、奏者は「あたりまえ」と思っているがゆえに、ニュートラルに説明できているかな? と鑑みることが何度もありました。

そこで今回は、よく質問を受ける奏法について、奏者の視点も交えながら独断と偏見で書いてみたいと思います。

 

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アンデパンダン・レポート

アンデパンダン出品者によるレポート (五十音順) 

 

                              くりもと ようこ

2月1日に開かれた『アンデパンダン展第1夜』でピアノ曲『ウェーベルンの旋律によるパラフレーズ —青春の思い出に— 』を自作自演した。

曲目解説に書いた様に、作曲のきっかけは、自分の音楽人生を振り返るというものであったが、音楽的には、ウェーベルンの旋律による2音の提示と挿入句という2つの時間軸の同時進行と、『23のバラバラのフレーズ』の羅列によって全体を構成することが出来るか?ということを課題とした。1つのフレーズは約17秒前後。これは、ピアノの音がペダルを踏まないで減衰するおよその時間。又は、1つの間(ま)の時間。

現音のお客様は良い! 聴いてやろうという姿勢で聴いて下さる。お客様にのせていただいて、最初の1音から最後まで緊張感を保つことが出来た、と思う。「あなたの言いたいことは伝わったと思うわよ。」と友人に言ってもらい、嬉しかった。

又、私のお客様の一人の方からは、「これまでも何回かのコンサートには来たが、今回の公演は全部素晴らしかった。こんな高水準の作品が誕生するためなら、維持会友になってサポートしていこうかと考えている。」という趣旨の有難いお言葉もいただいた。

私も、他の方々の作品に触れる良い機会だったので、聴かせていただくのを楽しみにしていたのだが、自分と演奏するということで、出番の前までは楽屋におり、演奏家の方々の本音トークを聞きながらモニターをチラチラ見、面白そうなことをやってるなぁ、と想像を掻き立て、自分の演奏が終わってからは、遠方から来てくれた何十年ぶりかで会う友人と話し込んでしまい、結局1曲も聴くことができず、大変残念な思いをした。

これからも、何かの機会に皆さまに聴いていただくことを願っている。『アンデパンダン展』という門戸が開かれているという心地よさに感謝しつつ。

 

 

                                平良 伊津美

自作品ですが、「美しい」「綺麗」という感想を頂き、とても嬉しかったです。

今回の”AffectusⅡ”では、美しさを表現することを狙って作曲したので、狙い通りの感想を頂けたのは、ありがたき幸せです。フルートがとてもよい、と演奏家にもお褒めの言葉を頂きました。私のピアノも、自分でいうのも恥ずかしいですが、よかったと言われました。また、コンサートでは、「見せる」こともこだわり、衣装を、白黒ではなく、カラフルな色にしたのも、成功でした。

会全体のことですが、開始の時間を、6時半から7時に遅くすることはできなかったのでしょうか。自分達の順番が、1番目の6時半とあって、平日の夜、普通のサラリーマンには、これない時間帯で、行きたくてもこれなかった人が沢山いました。

時間帯を見直すことはできないのでしょうか。

会場ですが、残響が長く、響きすぎで、ソロの演奏の人は、よかったかもしれませんが、アンサンブルの演奏は、やりにくかったのではないか、と思います。

 

何はともあれ、無事に大きなコンサートを終えることができて、安堵しています。

 

私は来年は、参加しないと思いますが、再来年は、”Affectus Ⅲ”をアルトフルートとピアノのために書きたいと思っています。

 

どうもありがとうございました。

 

 

                                 高原 宏文

第2夜は拙作を含む11曲の編成、傾向も多様で、通常の演奏会の形態から言えばやや統一感を欠いた感もありました。唯、次にはどう言う作品が出てくるか、聴いて見ないとわからない、と言う期待感もあって、それがアンデパンダン展の面白さでもあると思います。11曲を聴き終わっての感想は、これが現在の日本における現代音楽創作活動の一つの側面を表した会であり、個々の作品の可否とは別に、各作曲者にとって、それぞれ多くの問題点を含んだ会だったと思います。尚、特筆したいのは、当日の演奏者も含め、現代音楽の演奏に携わって下さる演奏者の方々への敬意と感謝の気持ちです。

 

 

                                                                                                                     増本 伎共子

だいぶ以前の事。現音「秋の音楽展」(当時は「アンデパンダン」のことを、そう称んでいた)のゲネプロのために、石橋メモリアル・ホールに入っていくと、ゲネプロの「番人」の佐藤敏直氏が、「死にそう」と、つらそうなお顔で・・・。

たしかに当時の「秋」の出品作のなかには低調なものも散見され、今と同じ優秀な演奏陣がさらい込んで力演しているのにも拘わらず、申し訳ないような作品もあり(自分を棚に上げて、いい気なもん?)、それを反映してか、本番の客席もガラガラで・・・名実ともに「お寒い」状態(殊に石橋メモリアル・ホールみたいな広め(?)な所では・・・)。

 

それにひき換え、昨今のアンデパンダンは・・・。昨夜も満席で。しかもお客様も満更お義理だけで来たのではなさそうな、熱心な傾聴ぶりで、作品も、不相変名人揃いの演奏陣に伍してヒケをとらぬ作品達が揃い、客席とステージとが一体となって、実にいい感じ。

「漸くゲン・オンもここまで来たか、世の中変わったなァ・・・」

昨日、たまたま80歳の誕生日を迎えた老女の嬉しい呟き・・・でした。

 

 

 

                                                                                                              ロクリアン 正岡

組曲「死生共存」はネット動画に投稿済みですが、もし今回の初演が成功しているとすれば-

そのわけは合同練習をこのロクリアン・スタジオで10月の中旬に声楽家、そして11月と1月に全員でそれぞれ2.5~3時間の計6回行ったこと。

ほとんど毎回、休憩時に作曲中の、あるいは出来立てほやほやの自作をP音源ながら披露するなどして、回を追うごとに演奏者が寄り楽しげにより熱心になってくれたこと、この二つが大きかったと思う。

その曲たちとは、今回の「死生共存」を先祖にたとえその未来進化形だとか、はたまた、曲の裏側にある“母性の発露”としての「ロクリアンハウスCMソング」(Cf.ユーチューブ)とかであったが、LSという作曲空間の創造的熱気が彼女たちを包み込んだといえようか。

そのオペラ並みの演技は私が要請したところではあるが、金沢君が先行、薬師寺さんも負けじと積極的にやってくれた。

また、衣装については光としての白、闇としての黒、生命としての緑という象徴的意味合いを持たせたものだが、3人とも意識の高さで応じてくれた。

 

以下は、いただいたメールやアンケートの文章そのままです。

 

1)もちろん!!期待して来たのだが、それ以上に強烈であった。大オペラを見に来た気分「しむる」と言いたくなった。

 

2)日本語をここまで音楽化できるのかに感心。「死無」を聴くと死も怖くないような気になります。最後は楽しく終わったのでホットしました。

 

3)最初から最後までよかったです。軽やかなリズムや透き通るような声に聴き入ってしまいました。「ドーピング」のところもすごい演技力と歌唱力で最高によかった。「死む」と何度も何度も繰り返し歌うところや「死みゆく」「いつまでもきれい」「おとろえ」も迫力があり最高によかったです。

 

4)面と向かって感想を申し上げるのが照れ臭かったので、早々に失礼してすみませんでした。

今日は初めから聴かせて頂きましたが、ロクリアンさんの作品がやはりベストでしたよ。

ハーモニーの移り変わりによる色の変化や、言葉の子音の使い方、冒頭のソプラノで「む」の音を印象付ける譜割り、「しむ」が「むし」に聞こえてくる言葉遊び、その後「る」が入る事によって「る」というより「ル、ル、ル」のような明るい表情になる設計、3曲目の淡々とした女声と独白のような男声、第4曲目の最初の和音の柔らかさなど、音楽としてとても楽しめました。

それに演者の皆さんのパフォーマンスも素晴らしかったですね。

衣装もピッタリでした。

まぁ4曲目の内容はどうかなぁと思ったけれど、ロクリアンさんの並びにいらした男性は爆笑でしたね。

お疲れ様でした!素晴らしい作品でした。

 

5)長い間、音楽会から感動が失われて久しい。しかし、昨日の兄の曲は違った。あれほどの音のエネルギーの自立的な推移と必然性が、人の心を否応無く感動へと運んでしまう曲は、極めて稀だ。兄の曲が良いという言い方は、照れくさくてできなかったので、「名演だった」と兄に告げてひとり帰ったが、目が覚めて、あらためて感心するとともに、兄の置かれた、いや、兄ばかりか私達日本の作曲家たちの置かれた状況を、考えざるをえない。まず、日本語という言語の非音楽性。日本語は響きが下にあるために、西洋流のベルカントには絶対になじまず、能、演歌など、響きを下に落として地声を旋律にする。5つの母音のうち、鳴り易いのはA,O,U,E,Iの順で、A,O以外は殆ど響かない。この点で、「死無」は最悪であった。しかし2人の演奏家は、よくそれに耐えて、オペラのクライマックスのような圧倒的な音楽的頂点を導いた。それから、歌詞は、ほとんど聞こえないのも、毎度のことだ。これも兄のせいではなく、文化全体の問題だ。私と妻にとって、日本語の聞こえるうたが、長年の課題であった。この点につては、私たちはほぼ解決したと思う。兄の今度の曲で一番の問題は、曲の構造的崇高さに比べて、歌詞の今日的な軽さと、卑近さのアンバランスだと思う。しかしこれは、兄の気持ちが分かるだけに、今日の日本の音楽的状況の悪さを、呪うだけだ。とにかく、めげずに作曲するのみと,我が身に言い聞かせながら、兄に御目出度うを言おう。2日朝。

 

末筆ながら、当日本現代音楽協会へ心から感謝の意を表させていただきます。