山下現代音楽賞 現代音楽演奏コンクール“競楽XVI”審査委員長:福士則夫
1991年から始まった現代演奏コンクール、今年が16回目「競楽」の予選2日間と本選に立会い、参加された若者たちからのパワーを満喫する3日間でした。
おそらくどの世界を見渡しても日本現代音楽協会が隔年で開催しているソロやアンサンブルでどのような楽器でも参加可能という特異なコンクールは見当たらないと思います。しかも1945年以降作曲された音楽作品で課題曲はないものの日本人の作品を必ず1曲含めるという条件下では、プログラムレパートリーの選択肢を増やすためにも演奏者が同世代の作曲家に作品を依頼するというケースなど、演奏コンクールで新作が生まれるということもあり、次々と提示される新しい刺激をどのように受け止めるのか評価する上で困難を極めますが何が出てくるのか楽しみもあります。またコンクールではよくある例ですが予選の選曲が見事に嵌って結果を得たにもかかわらず本選でパフォーマンスを十分発揮できなかったのはいくつか理由はあるのでしょうが、複数曲をどのような順番で組み立てるのかが問われます。将来一夜のコンサートを成立させるための重要な領域と深く関係していますが、このコンクールはただ競争のための試練ではなく音楽活動が果たせるプロフェッショナルを世に送り出すことが出来ればという意味も含まれています。「競楽」経験者がさまざまなコンサートで名前を見ることも有り、時間を超えて音楽活動の連鎖が生まれれば理想です。またコンクールの怖さは実力伯仲する状況下で小さな傷が命取りとなることもあります。しかしコンクールはただの出発点に過ぎませんし、その過程での経験や他の参加者から得られる選択した作品の情報や演奏スタイルなど学ぶ事は多岐にわたるのではないでしょうか。
さて、ここからは私個人の感想です。
若い世代が次々と登壇し長い時間の拘束もそれほど苦にはならず楽しみもありました。36組それぞれ熱い音楽メッセージをいただきましたが気になったことが一つ。「競楽」が始まった頃とは比べ物にならないほど音楽的技術のレヴェルが高くなり極めて難曲と言われている作品も軽々と乗り超えてしまうのは驚きです。しかし美しい響きで私たちを魅了し、記憶に残る演奏者としての参加者は残念ながら少なかったように感じました。たとえ作曲者の指示がノイズを要求していたとしても汚い音を欲しているわけではありません。演奏者は楽器の調整はもちろんのこと呼吸やフィンガリングなど楽曲に応じて様々な工夫を試みていると思いますし、表現者としての独自の解釈も必要でしょう。けれどその前に自分の耳を信じてどのような音作りをするのか、そのための技術的難しさもあり根気も必要ですがその原点をもう一度確かめてもらいたいと感じました。語弊があるかもしれませんが指と脳だけのネットワークではなく耳と脳と指。
今回優勝された方は一次予選で気になっていた参加者でしたが本選でも多くの審査委員から支持された一人で、お話を聞くと海外留学を計画されているそうです。「競楽」の入賞者の中にはそうして世界に翔び立つ人もいますが必ず何年か後にはどこかのコンサートで名前を発見することが多々あります。2年後の「競楽」に挑戦する方達がどんな楽器とどんな作品を引っ提げて登場するのか、終了したばかりですが今から次回に期待が膨らみます。
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