フォーラム・コンサート第1夜 (11月28日)  出品作曲家プログラム・ノート

フォーラム・コンサート第1夜 (11月28日)  出品作曲家プログラム・ノート

フォーラム・コンサート出品作のプログラム・ノートを先行公開します。
作曲者によっては追加メッセージもあります。

「作品について」をお読みになると、聴く前から曲のイメージが膨らむのでは。
11月28日には、これらのメッセージが実際にどのように音像化されているかを確かめに、
是非とも東京オペラシティリサイタルホールまで足をお運びください。

①  大平泰
Vajrakaya
(作曲2024年 初演)

◎作品について
vajrakayaとは、ダイアモンドの身体という意味で、ハヌマーン神の別名である。 ダイアモンドは、その堅固さから、インドやチベットでは、意志の象徴とされている。 ハヌマーンはラーマ神の下僕であり、秘教的にいうと、ラーマは人間の真我を、ハヌマーンは、真我の鞘である意志を表している。 不動の献身、ためらいや内的考慮を無視して揺るがない絶え間ない自己犠牲の象徴がハヌマーンなのである。 先日、ボカロPの友人にAIで作曲するところを見せてもらった。AIの作曲したポップスは見事で、彼も、これは敵わない。商売上がったりになる。と言っていた。 AIはどこまで進歩するのだろう?今のところ、既存の模倣は上手でも、新たなフォルムなどを生み出す力はないようだ。 サーンキャ哲学では、精神は物質の部分に過ぎず、疑似能動であり、真我こそが真の主体であると述べられている。 一見、おしゃれな曲を作ってた人たちは、ただ社会適応していただけであるのだろうと思った。 この作品は、自分の頭で考え発想することに重点をおいて作曲した。 その結果、特殊奏法なども、迫田さんに、ここは弾けませんよ。などと言われる箇所が多々あり修正した。 自由な人の自由な作品に触れ、自分も自由に発想し、創り、そこから自他ともに、自由が拡大していけたらいいと思った。 自由は愛である真我のエセンスであるから。

◎作曲者プロフィール
第24回TIAA作曲コンクール審査員賞。第二回k作曲譜面審査コンクール優秀賞第3回3位。第13回フィデリオ作曲コンクール6位。SHE LIVES BUDAPEST PRIZE 145人中ベスト20。4th young composer`s competitionファイナリスト。

 

② 浅野藤也
ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための音楽
(作曲2024年 初演)

◎作品について
3つの楽器が密接に絡み合い、繊細で神秘的な音楽の世界を作り上げることを試みた。

◎作曲者プロフィール
作曲を故浦田健次郎、ピアノを故庄子みどりの各氏に師事。2006年第17回奏楽堂日本歌曲コンクール作曲部門入選、2008年第12回日本の音楽展•作曲賞入選、2009年第14回東京国際室内楽作曲コンクール第3位。2012年東アジアの現代音楽祭inヒロシマ、2014年東アジア音楽祭inヒロシマに参加。2020年2月OM-2公演舞台音楽を担当。

 

③ 松岡貴史
“il racconto tramandato” per soprano e violoncello
(作曲2024年 初演)

◎作品について
古い時代や異国の音楽を、現代の私たちや音楽に重ねてみる。

2023年9月のアンサンブル・ノマド定演で佐藤裕希恵さんが歌ったヘンデルやモンテヴェルディを聴いた。端正な様式のなか限りなく広がるエキサイティングなドラマ性に、現代を感じた。また、異文化に感じられるような、素朴で温かく、繊細かつ大らかで人の心を揺さぶるものを、北嶋愛季さんのチェロに託してみたいと思った。

「語り継がれし物語」―とはいえ、ある現実の国のではなく、想像上の(つまり作曲者が創出した)言語?によるもので、誰にとっても異国語のようなもの、意味はわからない。そうした言葉による、言葉を超えた、しかし言葉ならではの音楽が伝える何かあついものを実感していただけたらと思う。

そこで語り継がれている?のは人々が大切にしてきたもの、生活そのものや愛、信仰・・・。

  1. リトルネッロ:人間の生きざまを、バロックのリトルネッロ形式に乗せて。
  2. 叙事詩:聖書などの聖典、英雄伝など、語られ、書かれた、人々が救われる言い伝えを想定して。
  3. 祈り:聖霊のようなチェロ、そのなかでの祈り。謙遜そして感謝。

◎作曲者プロフィール
東京藝大作曲科卒業、大学院修了。1981年、ドイツ学術交流会(DAAD)の給費留学生として渡独。シュトゥットガルト市作曲賞、エルディング・オルガン曲国際作曲コンクール第1位他の受賞。作品は多岐に亘り、国内・海外での松岡貴史&みち子作品展も9回を数える。昨年のフォーラムコンサートでは「秋の夜長は・・・」(尺八、箏)を初演。

◎追加アピール文

古楽のスペシャリスト佐藤裕希恵さんと現代音楽のスペシャリスト北嶋愛季さんのアンサンブルが楽しみ!

 

④ 平良伊津美
Affectus Ⅵ〜フルートとハープのための〜
(作曲2024年 初演)

◎作品について
“Affectus”とは「情緒」という意味です。 今回は、ハープを編成に入れました。フルートとハープ、まさにゴールデンコンビですが、 実際に調べてみると、フルートがメロディで、ハープは伴奏という作品が多く、ハープが主 役になっている箇所がある作品作りを心掛けました。 ハープの音型は、寄せては返す、波を表しました。全体は「海」を表現しています。 この度、フルートの大野和子さん、ハープの田中淳子さんには、沢山のアドヴァイスを頂き、 作品としてまとめることができました。お二人には、感謝の気持ちで一杯です。心から御礼申し上げます。

◎作曲者プロフィール
静岡大学教育学部音楽科卒業、東京藝術大学音楽学部別科作曲専修修了。
大槻寛、佐藤眞、鈴木輝昭の各氏に師事。第 11 回埼玉県新人演奏会作曲部門入賞。
第 12 回奏楽堂日本歌曲コンクール作曲部門第 3 位受賞。第 4 回 K 作曲譜面審査コンクール第2位受賞。 東京国際芸術協会主催第 34 回全日本作曲家コンクール歌曲・独唱部門入選。BEST CLASSICAL MUSICIANS AWARDS にて金賞受賞。

子ども用連弾曲集「小さな動物の森」 、ピアノソロ「Jazzy」出版。日本現代音楽協会、東京国際芸術協会、ムシカ・デ・エスペランサ各会員。フリーの作曲家として活躍、また後進の指導にあたっている。

 

⑤北條直彦
出会いの時 ヴァイオリンとピアノの為の
(作曲1994年/改訂2024年改訂初演)

◎作品について
この曲は以前書かれた「マリンバのための出会いの時」の延長線上に書かれた。異なる二者の出会いから生じる

衝突や亀裂、それがある種のエネルギーとなり、最終的には一つの大きな流れとなる様想定された。つまり展開から収束に向かう過程が意図されていたのだが果たしてどうか?曲の統一は長7度及び増4度を含む音程関係及びそれらを基にした数種の和音によって計られている。1994年と昔の作品だが部分的に手をいれ再演する運びとなった。

◎作曲者プロフィール
東京芸術大学作曲科卒。池内友次郎、矢代秋雄、三善晃の諸氏に師事。作品 「響相」〜室内オーケストラのための 『Interplay2』~フルート、ヴァイオリン、ピアノのための 「弦楽4重奏のための響相」”From Landscape
In Remenbrance for String Trio Part 1 Part 2” 他作品多数。JAZZ様式の研究家、演奏家でもあり著書、楽譜出版多数。「アストル ピアソラタンゴ名曲選1、Ⅱ 「新主流は以降の現代ジャズ技法〜メロデイ篇、ハーモニー編、
アナリーゼ編全3巻」等。日本音楽舞踊会議理事公演局長、日本現代音楽協会会員、オーケストラプロジェクト会員、キーボードラボ主宰。

 

⑥ 松岡みち子
冬隣/ FUYUDONARI
(作曲2024年 初演)

◎作品について
古今和歌集の中から、冬が近づき暗さを増していく晩秋のうた、凍りつく寒さの厳冬の歌、和らぎ花の香りがかすかに感じられる早春のうたの3つを選び、心を遊ばせて味わいつつ作曲しました。

晩秋のうた  夕月夜 をぐらの山に 鳴く鹿の 声のうちにや 秋は暮るらむ 

厳冬のうた 大空の 月の光し 清ければ 影見し水ぞ まづこほりける

早春のうた 春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やはかくくる

ヴィオラと尺八の音の組み合わせは、声と風との対話のように、優しくしっとりとなじみます。大自然に育まれて季節の移ろいを感じつつ、人の心の温かさにほっこりと癒されて生きるのは、昔も今も変わらない幸せですね。そんな豊かな音空間をお届けできたらと願っています。ヴイオラ甲斐史子さん、尺八小濵明人さんの素晴らしい演奏に心から感謝いたします。

◎作曲者プロフィール
東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。デュッセルドルフ音楽大学留学。徳島県芸術祭最優秀賞受賞、東京国際室内楽作曲コンクール入賞、奏楽堂歌曲作曲コンクール入選。作品は日本の他、ヨーロッパ各地の音楽祭で演奏されている。「松岡貴史&みち子作品展」を東京、徳島、ハンブルグで9回開催。徳島文理大学講師、香川大学特命准教授、鳴門教育大学講師。徳島県立名西高校講師を歴任。日本作曲家協議会、日本現代音楽協会会員。


⑦ ロクリアン正岡
弦楽四重奏曲第6番「ピカソ流」
(作曲2024年  初演)

◎作品について
 多く人はかなり若いうちに少なくとも一度はなぜ自分は佐藤隆なのか?白石桂子なのか?と思ったことがあるだろう。それは単なる「どうして俺(私)は俺(私)なのか?」という同語反復ではなく、どうして自分Aは“この自分a”に生まれたのかというように本来の自分と現実の自分の違いに目の止まった必然的で貴重な瞬間なのだ。そこから考えれば何が何でも現実の自分(達)の保身に終始するというのも愚かしい。無駄な争いごとの多くはここから発する。現実の自分の背後に本来の自分があるという意識が強まればこの現実の自分/心身以前の“魂”が信じられるというものだ。そして当然、前世も来世もである。私が絵画をこよなく愛し優れた絵画に同化しようとするのも本来の魂をより強烈に実感したいからなのだ。
 今回、その愛の対象はピカソの多くの人にとって最悪の絵画であろう「梳る裸婦」。ピカソ絵画の異形さを愛せない人はいまだに少なくないだろうがこの絵画と来たら(11月中旬現在ネットで閲覧可能)!古典には秩序主義的な、現代にはカオス主義な絵画が多い中、ピカソの異形絵画のすばらしさはカオスと秩序の合体にあるが、この絵画にあってその度は最高潮に達している。野球監督がサッチーこと野村沙知代を愛してやまなかったのもそこが魅力だったからではなかろうか?本楽曲もそこに力点を置き、8分余の第一曲においては常にカオスと秩序のがっぷり四つを心がけた。 

◎追加アピール文

ピカソの偉大さを自発的感性と意識で知るものは少ない。
なぜなら「ピカソは本当に偉いのか?}という邦人著がバカ売れしているぐらいだから。
最晩年を別にして、あの多様にして優れた絵画が犇めく様をネットで見ただけでも明らかではないか。そんな画家がほかにいたか?ヤケノヤンパチのジャクソン・ポロック以後が画家としてやってゆくために諸々の手段を用いている結果、なんとか個性とか独創性は打ち出しえているとはいえ、偏りや弱さが露呈している作品群と作家の数々には目を覆わせる ものがある。そんな中、私は真向私LMと向き合ってくれる聴き手をお待ち申し上げているものです。

今回の出し物は、弦楽四重奏曲6番「ピカソ流」。
SQを得意とするのは私の心、いやそれ以前の魂が概念の深い意味で「本来性」を大切にしていることによる。
SQは音楽の優れた大樹クラシック音楽の中の本質的部分に位置する。「本来性」に依拠した作品こそこのジャンルの優れた作品として残っているということがこの編成に魂を託そうとする自分を励ましてくれる。
幼き頃のピカソの目を見よ。それは画家としての本来性そのものである。
偽り多き(その分かりやすい例としては女性の整形手術、デザイナーチャイルド礼賛とかAIの台頭)この世はもはやLMがいるところではない、という悲しい現実を私に突きつける。
早い話、そんな世の中に今回の4人の演奏者もはめ込まれているとしたら?今回のコンサートはそうした壮絶凄惨な戦いの現場でもあるわけです。これは地球を狂わす現代史の確かな一コマか?