フォーラム・コンサート第1夜 (11月24日) レポート

現音 Music of Our Time2022のフォーラム・コンサートは、11月24日と25日の2夜にわたり開催されました。
今回は出品者のレポートをお送りいたします。

現音2022フォーラム・コンサート第1夜(11月24日)を終えて        河野 敦朗

昨年に引き続いて作品を初演することができました。現音関係者、スタッフの皆様に心から御礼申し上げます。およそ1930年代からの、多くの作曲家の、深い思索や、研究や、創造的な力から生み出される芸術音楽の貴重な新作の発表の場が、多くの方の力で引き継がれ、こうして私自身貴重な発表の機会を頂いていることに、感謝しかありません。また初演の作品を演奏して頂いた演奏者の方のご協力に、心から感謝いたします。

今後も自身の研究を続け、現音で、よりよい作品を目指していきたいと思っています。

 

弦楽四重奏曲第3番「異形・日本・かぐや姫」の作曲者として
悟ったこと                       ロクリアン正岡

医療の主役が患者であるのと同じように音楽の主役は聴き手にある。外音(がいおん/音波)の有無を実現するのは作曲者や演奏者であるがそれに刺激されて聴き手はどれほどの量の内音(ないおん)を催すことであろう。この楽曲においては外音を全音音階の6音に設定、内音は一応“いろいろな全音階”ということになる。音楽学は楽譜に書かれた音を大切にするので、内音など、楽曲は愚かその音楽の対象にすらされ難い趣がある。だが、音楽は作曲者から聴き手までの主観をおいてどこにもありはしない。

そもそも、各自の“聴”こそが唯一の真の楽器、主観楽器なのだ。どのような演奏音を放射されても、それがそのまま“聴”なのではない。同じ会場にいても、音源に向かっていても、個々の聴体験は微妙に違う。また、そもそも”聞こえる“ということが人智を絶することなのだ。「耳が」「脳が」と物質や生体の方へ話を持っていっても無益なこと。そもそもそういう耳や脳がどうして働いているのかは、それを対象的にいくら遡っても分かり切れるものではない(耳や脳で説明しても、それは問題回避というものだ。)

早い話、外音が一切なくても、“聴”の現実はある。それが無音であっても、時間、生の実感というものがある。それは如何にかそけきものではあれ、無と有のもつれ合う生成活動なのだ。そして、それをこうして意識できるということは、生成活動へと落とし込まれない超然とした部分が誰にも備わっているからに違いない。それが存在そのものとしての在り方であり、生あるものとしては「息を詰める」ことで実感できる境地である。

演奏者においても同じ状況にあると言える。

この楽曲にあってはすべての要素、すなわち音の有無が“全体”に位置付けられている。全体(一つの楽曲)形成にかかわっている。そしてその全体は、一個のものとしてより大きな全体(この楽曲の場合には「竹取物語」ともとれる)に触れている。そしてさらにそれはちょうど文学で、文字が単語に、単語が文章に、文章が一章に、一章が小説に、そして小説全体がより大きな全体に含まれているのに等しい。

ところでこの曲の演奏は難しい。それは全音音階の6音に限られているため初めての聴き手にも気づかれやすく音高のずれが許されない点と、19分の一樹を見事に形成しなければならないという点とである。

そこで、演奏者の4人に初めから伝えておいたことがある。

「いま、曲自体の形を見よう見ようと努力しなくてもいずれそれは見えてくる。というのは、『竹取物語』のウキペディアやスコアを眺め覚えつつ個人練習から合同練習を繰り返してゆけば、音ではない実体が生長繁茂開花結実してゆき、それが音楽の表象面に自ずから映るようになるからだ!」と。

自然界では物体を伴った文字通りの生命活動が繰り広げられ、音楽においては物体を伴わない生命活動が繰り広げられる。だが、生命活動というものは死(無化)に抗する形でしかありえないものであろう。ということはこの世は生死をめぐる動的運動の渦中にあるということになり、我々は死んでもそれでストップということにはなりえないであろう。

それにしても不思議なのは我々5人、本番に向けていよいよかぐや姫状態入って行け、多くの聴き手に及んだらしいこと。それは難曲への必至の挑戦もさることながら、六人の男性を拒んだかぐや姫の禊みそぎに従って、片一方の全音音階六音を拒み通し、それを良しとして作曲を貫徹した結果もたらされた恩恵としか思えない。作曲者の計画や見通しではなく、無意識の裡に差し込んだ一瞬の伝令に私は従ったまでであった。2013年のことである。

   ―猛練習を経て熱演されたカルテット・フローライトの全員と、ヴィオラを担当された加藤星南氏に心からの拍手を送りつつ       
                                                                                                                                             作曲家 ロクリアン正岡

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ロクリアン正岡作、弦楽四重奏曲「異形・日本・かぐや姫」を演奏して

今回フォーラム・コンサートに初めて参加させていただきました。
同じ時代を生きている音楽を演奏したのは初めてで、実際に作曲家の方の考え方や思いを受け取り音楽を創り上げていくことに多くの学びを得ることができました。
1音1音がかぐや姫の物語を紡いでいく、音の意味についても様々な視点から勉強させていただきました。

この学びをこれからの演奏へ生かしていきたいと思います。この度は、このような機会を与えてくださり本当に感謝しております。

小野口紗(チェロ)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回初めて現代曲の弦楽四重奏を演奏させていただきました。作曲家のロクリアン正岡さんは私たちの演奏を何度も見てくださり、そこで演奏解釈のアドバイスを多くいただきましたが、毎回音楽性の深さと世界観に驚かされるばかりでした。また、表現の幅や、音楽以外との結び付きについても多くの発見があり楽しかったです。このような機会で演奏する事ができ、本当に良かったです。ありがとうございました。

矢澤結希子(第一バイオリン)