特集「現音・秋の音楽展2014」
アンデパンダン出品作曲家からのメッセージ
来る10月29日と30日の両日、「現音・秋の音楽展2014」の公演として、恒例のアンデパンダン展が東京オペラシティリサイタル・ホールに於いて開催されます。
今回、初の試みとして、アンデパンダン出品者の中からご希望の方にプログラムノートには書き切れない作品に対する思いなどを書いて頂きました。
作曲家の熱いメッセージをお読みください。
◎ まずは第1夜1曲目の浅野藤也さんからのメッセージです。
この作品の中で、ピアニストに「出した音の余韻を大切に、音空間を意識すること」「時間が止まったようなイメージで」「強弱、音価の不規則性、差異を強調すること」「音間に強い緊張を感じて」といったことをお願いしている箇所がある。「間」を生かしながら、強烈な何かを表現出来れば、と思っている。
◎ 次は第1夜5曲目の田口雅英さんからのメッセージです。
尺八独奏の為の「乱(みだれ)菅(すが)垣(がき)」
「菅(すが)垣(がき)」とは、本来は雅楽の箏の奏法をさす語であったが、17世紀中頃に、現在の近世邦楽の源流と思われる古譜に、俗筝、三味線、一節(ひとよ)切(ぎり)(尺八の原型的な楽器)の楽曲の名として表れるようになる。(糸竹初心集:1664年、に筝の曲として初出)現在の尺八古典本曲の中にも、流派を超えて「○○菅垣」と言った名を持つ曲が多数存在している。筝の為の「菅垣」は、「六段の調」の原型となったと言われている。尺八曲の場合、こうした「菅垣」系曲の全てに明確な共通点を見出すことは難しいが、構造や旋律の骨子には、17世紀の「菅垣」との関連を想起させるものが残っている。
また一部の「菅垣」系曲では、拍子のない曲が大半の尺八本曲としては例外的に拍節的な部分が存在する。これは、「菅垣」がまず筝の曲として成立した経緯に関係するものと思われる。
この作品では、上記のような「菅垣」系曲の特性を下敷きにして、私なりの「菅垣」を作ることを試みた。その実現のための方法としては、新しく独創的な旋律や構造を提示することではなく、古典的な音階・旋律の動きのパターンや構造モデル等を使いながらも、非古典的な組み合わせや読み替え等によってそれらの新しい可能性を探ることに、主眼が置かれている。
タイトルの「乱」は、このような古典パターンのより自由な使用法方法等を意味している。
◎ 次は第1夜9曲目の露木さんからのメッセージです。メッセージという形では無く架空のインタビュー形式となっています。
架空インタビュー
このたび、現音・秋の音楽展2014のアンデパンダン展第1夜で初演される、露木正登氏の新作について作曲者自身へ直撃インタビューを行った。
記者(以下Q):ここ数年、アンデパンダン展においてホルンを含んだ編成の室内楽作品を「これでもか」という
くらいに発表されていますが、なにか理由でもおありですか?
露木(以下A):日本の作曲家の作品表を見ると、ホルンのために書かれた作品が実に少ない!これは本当に残念
なことで、この素晴らしい音色の楽器のために、何か作品を書いてみたいと思い続けていたのです。ブラームスの
トリオといい、リゲティのトリオといい、海外にはホルンの室内楽の素晴らしい作品があります。私も「ホルン
三重奏曲」をいつかは書いてみたいと若いころから夢見てきました。それは昨年、実現できましたが。
Q:そうですか。いや、じつは本当のところの理由は別のところにあるのではないか、と思っていたのですがね。
毎年、プログラムノートを拝見していると、「アマチュアオケでホルンを吹いている若い友人からインスピレーションを受けて」というフレーズがかならず出てきますが、私にはこの「若い友人」の存在がとても気になるのですがね?
……ところで、この「若い友人」とは女性ですか?男性ですか?
A:なかなか鋭い詮索ですね。まあ、勘付かれてしまったから仕方がないですが、その「若い友人」とは、当然の
ことながら女性です。私にとっては、男性の存在が作曲上のインスピレーションになることなどありませんからね!
Q:当然のことながら女性です、とは恐れ入ります(笑)。
A:いや、本当に作曲のインスピレーションには「若い女性」の存在が不可欠です!ああ、なんというロマン派
おセンチメロメロ路線!まさに現音失格……。
Q:なるほど。で、その「若い友人」が若い女性だとすると、ここ数年の作品を聴かせていただいて感じていたの
ですが、以前の激しい曲想から一転して、軟弱でおセンチメロメロ旋律がいっぱいの路線変更は、もしかしてその
女性に恋されていたのでしょうか?
A:プライヴェートな内容につきノーコメント。
Q:2012年の「デュオ・コンチェルタンテ」の第2楽章などは聴いている方が恥ずかしいくらい、オノロケメロ
メロおセンチ音楽でしたが?
A:恋する乙女心のような曲想とでもいいましょうか……決して実ることのない恋とでもいいましょうか……切ないねえ、まったく、人生と言うやつは。
Q:「デュオ・コンチェルタンテ」の楽譜を拝見すると、dolceやらcon amoreやら……甘口の発想用語がたくさん出てきますね。以前の作品はagitato,feroce,con fuocoなど馬鹿のひとつ覚えのように書かれていた挑発的、刺激的な発想用語がこの「デュオ・コンチェルタンテ」の楽譜には皆無ですね。昨年の「ホルン三重奏曲」の楽譜にはそういった刺激的な発想用語も多少は使われていますが、なにか心境の変化でもあったのですか?
A:昨年の「ホルン三重奏曲」は、単なるおセンチメロメロ路線、恋する乙女ではなく「片思いでもいい、たくましく育ってほしい」的な開き直った心境がありました。
しかし、実をいうと作曲者としては昨年の「ホルン三重奏曲」がいちばん気に入っているのですよ。演奏者たちも若い女性が3人!……いやあ、幸せだったなあ(笑)究極の「若美女トリオ」の実現でした!
Q:(絶句)
A:本当ならば、今年はさらにワンランク上を目指して「若美女カルテット」を夢見ていたのですがね……いろいろと事情がありまして。
Q:ところで、今度初演される新作についてまだ何もお話されていませんが……。
A:実はただ今作曲中(笑)。
Q:あ、それは失礼しました。もう9月なのでてっきり完成されているのだと思っていました。曲も書けていないのに、新作についてアピールする場にのこのこ出てくるとはなかなか図々しいですね。ところで、新作のタイトルは「セレナード」ですが、「セレナード」って、恋人の窓辺で歌うアレですよね!ということは、いよいよ成就されたのですか?
A:作曲家の付けるタイトルに惑わされてはいけない!作曲家の付けるタイトルを額面通りに受け取ると、あとでエライ目に遭うからね。作曲者が「セレナード」と題したからと言って、それイコール「恋の成就」だなどと、単純な図式で考えてはいけない!作曲家の思考はもうちょっとひねくれているからね。今度の新作の気分を一口で説明すれば、「恋人の窓辺で歌っていたら、上からバケツで水をかけられた」というか、「ああ、やっぱり片思いだったのか!」という諦めムードが支配的な曲だといえるでしょう。
Q:なかなか悲惨ですね。
A:悲しいかな、これが現実というやつなのですよ!それでも前を向く!
Q:来年以降もホルンの作品を出品されるのでしょうか?
A:来年からは新しい楽器のシリーズを考えています。おっと、これ以上話すと2000文字を越えそうだから、これで失礼するよ。
◎ 次は第2夜2曲目の植野洋美さんからのメッセージです。
The Polarity Reversal -for 2 violoncellos
今回は「極の反転」というタイトルで、2台のチェリストのための作品を書きました。報道によると、太陽でも地球でも極が反転することがあるそうです。つまり北極と南極の磁場が弱まってゼロにリセットされ、プラスとマイナスの極性を反転させた新たな磁場が両極に現れるとのことです。両極の動きが同期していないこともあるようで、マイナス磁場の北極がゼロに近づいても、プラスの南極の反転が遅れていたりするようです。極が反転する際、このように磁場が大変なことになっている様子を私は想像してみました。この作品では、極の反転そのものを描写するのではなく、そこからさらに「様々な要素が飛び出したり飛び込んだりぶつかったりしながら大騒ぎしつつも次第に反転が完了して行くそのまっただ中に、もしも私が居て目に見えないものが感じ取られたとしたら・・・」と、想像を膨らませてみたときの一瞬の印象を約10分の作品にしました。このたび演奏をご快諾頂きました、松本卓以さんと夏秋裕一さんに心から感謝申し上げます。
◎ 次は第2夜3曲目の内本喜夫さんからのメッセージです。
~内本喜夫代表作品 創造者創作者著作権利者 内本喜夫~
TSAR BOMBA ツァーリ・ボンバ
作品No.1 1961年
ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が開発した人類史上最大最強破壊力の水素爆弾Tsar Bomba(ツァーリ・ボバ)一発のみを地球の大気圏内で核爆発させる。1961年10月30日に地球の大気圏内で唯一施された。
核爆発実験と違ってタンパーを鉛に変えずに本来の設計通りにU238にして100メガトン以上(超)の破壊力の水素爆弾にする。100メガトン以上(超)の破壊力の水素爆弾Tsar Bomba(ツァーリ・ボンバ)一発のみの核爆発によって地球の大気圏内で発生する無数の全ての物理現象を最大限に最も効果的に発生させる最適の条件下で核爆発させる。100メガトン以上(超)の破壊力の水素爆弾の地球の大気圏内での核爆発遭遇は人類史上完全未経験の事象である。
100メガトン以上(超)の破壊力の水素爆弾Tsar Bomba(ツァーリ・ボンバ)一発のみの核爆発によって発生する無数の全ての物理現象がこの作品の全内容である。その全理論がこの作品の全設計図となる。その全設計図は文章を一切使用せず数字や記号やアルファベットetc. から成る、科学式、化学式、計算式、理論 etc. のみにして全ての計算や式や理論 etc. は全ての事柄を100% 全てスーパーコンピューのみを使用して活字のみで創る。1961年10月30日に唯一実施されたタンパーをU238から鉛に変えた核爆発実験での破壊力は50メガトンで最大音量(音圧)は282dBであった。この最大音量(音圧)282dBという数値は人類が人工的に造った音としては人類史上最大の音量(音圧)として記録認定されていてこの記録は現在も破られておらず未来永劫破られないと推測されているが本来の設計通りの破壊力100メガトン以上(超)の水素爆弾Tsar Bomba(ツァーリ・ボンバ)一発のみの地球の大気圏内核爆発ならば282dBを遥かに凌ぐ最大音量(最大音圧)発生となる。発生する無数の全ての物理現象の全てが人類史上最大最強の未知の物理現象との遭遇となる。
◎ 次は第2夜4曲目の岡坂慶紀さんからのメッセージです。
私はしゃべるのが不得手な上に、文章を書くのも苦手です。
ですからプログラム解説も4~5行が限度で、愛想のないことです。
◎ 次は第2夜6曲目の白澤道夫さんからのメッセージです。
1993年に52歳で死んだ作曲家フランクザッパに関する本にベンワトソン著「プードル遊戯の否定弁証法」がある。
このバイオリン曲は、エドガーヴァレーズに関する記述を英語一字一句を音符に置き換えたテクストコンポジションの技法で直訳したものである。
ザッパの出世作「フリークアウト!」では「作曲家は死ぬことを拒絶する」と作曲家が単数形なのに対して、原文では「作曲家たち」と複数形になっている。まさにそこの部分についての議論が引用箇所となっている。曲は大まかに3の部分からなり、最初に「小林多喜二追悼の歌」(吉田たか子作曲)が演奏される。最後に「否定弁証法」で有名なアドルノの「アンダンテグラツイオーソ」の最終部分が演奏される。これは作曲家アドルノの事実上の遺作に当たる断片である。
◎ 最後は第2夜9曲目のロクリアン正岡さんからのメッセージです。
弦楽五重奏曲「残忍性の為の独房、霊性の為の要塞」を作曲し発表する訳
作曲家 ロクリアン正岡(会員)
私には自己実現など関心ない。「人の意識に良きものを与えたい」ただその一心でこのところますます作曲に拍車がかかっている。それが世の為人の為にもなれば幸いだが、そのためには時間を要する。音楽による感化とは土台そういうものだ。
私における意識の沸騰は昨年春から始まった。その秋口までに弦楽四重奏曲(SQ)を立て続けに3曲書き、弦楽オーケストラ曲第一番「異次元航路」は会心の作となった。だが、更に生産力を増すためにはやはり抵抗がほしかったようで、今年になって登場した佐村河内守、小保方晴子、佐世保のT子、某大新聞(cf.付記)と、後になるほど空恐ろしさが増すようだが、私はその情報に食らいつき、残忍性の味も確かめた。悪に対すれば対するほど燃え上がる私の霊性!ある心理学者から「ベートーヴェンの特徴はなんだ?」といきなり聞かれたときに、間髪入れず口から迸り出た言葉は「偽悪醜に打ち勝つ真善美魂だ!」。
クラシック音楽の御三家、バッハ、モーツァルトらの音楽の卓越度はどれも超然たるものだ。だが、「人間の自由」という理念を体現したベートーヴェンはやはり音楽を超えた存在だ。まさに「我らがベートーヴェン」!こんな形容が相応しい作曲家は彼だけではないか?個人的嗜好で言っているのではない。わが霊性に基づき客観的に申し上げているのだ。才能と技術に籠絡され偽りの自由に生きたストラヴィンスキーは晩年、ベートーヴェン晩年のSQこそ人類最高の音楽として盛んに聴いていたのは有名な話だ。
さて、今年の私は「抵抗ある素材」を得て作曲を開始したが、出来た作品はやはり弦楽器のものばかり。ヴィオラ独奏曲“「思念三態」-オノレ!サイコパス鬼女”は、私の作曲の師である大バッハの平均律ピアノ曲集第一巻の嬰ハ短調の五声フーガをロクリアン化(Cf.ネット動画)した精神で、あの解剖目的で同輩を殺害したT子を受け止めたものだ。彼女は私の意識の中で「お前の曲は私の悪魔の仕業の護符たり得るか?」と迫って来た。もし逃げたら、それは作曲家としての死を意味しただろう。
更に、より多くの偽悪醜を取り込んでは音楽へ、即ち真善美へひっくり返してやろうとしたのが現音アンデパンダン展第2夜で発表する弦楽五重奏曲(SQ+Cb.)なのである。
私はある時から自分の鼾の振動が意識できるようになり、やがて音として聞こえ出し今ではそれに抑揚を付けられるようになっている。すなわち鼾で歌おうとすれば歌えるのである。以下の引用は、このことの意義をご理解頂くのに役立つだろう。
図解雑学「ニーチェ」(樋口克己著/ナツメ社)の「知的誠実」の項より。
ニーチェは、宗教・道徳を尊重する精神を、《知的誠実》が足りないという理由で非難するが、これはほとんど無理な注文である。-宗教・道徳は、神の存在や善悪の基準を、絶対的で間違いなどあるはずがないものとして信じることを要求するからだ。そもそも信じることは、疑う事、よりよく知ろうとすることの制限の上に成り立つ。宗教・道徳に対するニーチェの批判はいわば、“眠るときに目を瞑るな”というようなものなのだ。
さて、件の五重奏曲「残忍性の独房、霊性の要塞」であるが、初めは「異次元航路」の後に相応しい「異次元同居」というタイトルを考えていた。人に首から上と下とが一緒になっていることへの驚きは、あの神々しいイエス・キリストが糞便を垂れる動物的肉体と合体していたという事実を思念するとき極大に達する。
まことに、鼾を掻くいわば首から下の私と、それを聴き歌おうとすれば歌える首から上の私との距離はあまりにも大きく、お互いに異次元同志といえる。
それが歌を介して関わりあおう、というのであれば、これは面白い出来事ではないだろうか。この曲はその鼾のモティーフで始まる。
この曲を作っている現在、私は残忍性と霊性との戦い、お互いの領域拡張の争いを頭に思い描いている。それは丁度、地球上で陸地が大半を占めて海を小さい湖としてしまうか、逆に海が全面を覆い陸はたった一つの小さな島と化すか、という様相である。
四重奏にコントラバスが加わることで心理的垂直差は格段に増し、五重奏とすることで我がフィボナッチ魂も大活躍。だが、全ては万物のマトリックスである「不可知の何様」(LM造語、HPに詳しい)の御心に叶っているかどうかによる。
一所懸命お聴きになれば、貴方の中で、動物的なもの(欲望)と霊的なるもの、あるいは俗なる領域と聖なる領域との間で、壮大な「大気循環」が生じてもおかしくはないだおう。もちろん演奏にもよるが。とりあえず、乞うご期待!
付記:この四者に共通するのは“アイデンティティーの侵害”だが、T子のそれを別として、その心性は情報社会では普通一般に見られ感染力も強い。なお、私は重症患者を「愚過多腫汚=おろかたはれお」と呼ぶことにしている。
(以上、2014.9.15夕刻 ロクリアン・スタジオにて)
ロクリアン正岡さんのPR動画が以下のサイトでご覧になれます。