畏友・高橋アキ
池辺 晋一郎
東京芸大の同級生である。知り合ったのは1963年、と書いてみて驚く。実に、半世紀を越える交友なのだ。彼女の記憶と僕のそれにやや齟齬があるが、ここは僕の思い出を──
大学1年次の何かの授業の時、アキさんに僕が言った。「僕の曲、弾いてよ」
「現代作品は弾かない」と返事が返ってきた。だが僕は引き下がらなかった。
「悠治さんの妹なら、弾かなきゃ!」
そして僕の「ソナチネ」を、彼女は唖然とするほど見事に弾いた。以来、拙作の演奏に関してまず第1希望は高橋アキ、という(こちらが勝手に想う)定位置ができたのである。
歌曲集「晝の月」初演の時(1970年)、メゾソプラノは伊原直子(この人も同級生)、ピアノはアキさんだった。リハーサルのため我が家に来たアキさんが「弾けない」という。出がけに料理をしていて、包丁で指を切った由。僕は猛烈に怒った──ピアニストにあるまじき愚行だ!と。ちなみにこの曲のテキスト=山村暮鳥の詩の一節が「指を切るさみしき愛の感触」だったことは、全く無関係。
クセナキス「エオンタ」の日本初演を一緒に聴きに行ったのもアキさんとだった。高橋悠治のピアノ。圧倒的!これは彼女も、その著「パルランド──私のピアノ人生」(春秋社)の中で語っている。
ケージ、フェルドマン、武満…現代音楽演奏のトップとして考え得る限り最高の地点にいるアキさんだが、古典についても、劣らず輝いている。前著の中で「まるで自分のふるさとを思う時と同じような懐かしさ、親しさが胸にこみあげてくる」と言っているのは、シューベルトについてなのだ。
現代音楽のスペシャリスト=アキさんは、音楽の歴史を俯瞰しつつ演奏している、ということが、これで判明する。そのレゾンデートル(存在理由)はこれからさらに増して行くだろう。まことに、稀有な存在。高橋アキという人と同時代を生きていることに、あらためて大きな歓びを感じるのである。